暮らしを使うのか、作るのか
震災から10年。亡くなられた方のご冥福を心からお祈りします。
改めて”暮らし”について、”暮らす”ということについて考えてみた。
僕らの暮らしは必ず誰かによって支えられている。
でも、その”誰かに”気づくことができるのは稀だ。
名もしれぬ誰かによって、苦労して作られた物を食べ、洋服を着て、電気やガスを消費している。
10年前の今日、こうした日常が得難いものだということを、身に染みて感じたはずなのに、今ではもうその感覚が薄れてきている。
10年前、福島の事故が起きた時、自分達の暮らしを支えている源が遠くにあるということを、私は恥ずかしながら初めて知った。
誰かによって作られた暮らしを消費する側に回るのか、それとも使う側に回るのか。
勿論生きていく以上、必ず誰かによって作られたものに頼らざるを得ない。
ただ、そのバランスというものはあるのかもしれない。
私自身は、自分で使うもの、消費するもののほぼ100%をお金によって買っている。
そのお金を生み出すために自分も何かを生み出しているんでしょう。と言われれば確かにそうなのだが、どうにも心許ない感じがする。
せめて自分が食べるものくらいは作り、調理をできるようになりたい。
自分の住まいも自分の手で出来る所は何とかしたい。
ささやかなことから、暮らしのバランスは取り戻していくことができるのあもしれない。
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