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話しかけられる話

出掛けるとよく話しかけられる。

「すみません、シャッターいいですか?」

とか、

「ここまでの道って知ってたら教えてほしいのですが?」

とか。

懸賞には当たったためしがない自分でも、話しかけられる運は持っているようで、旅先でも、友達と待ち合わせている中でも、それはもういろいろ。

新橋駅で待ち合わせをしていたころだったか、金髪の外国人女性2人組に話しかけられたこともあった。あれは確か汐留口だったか。

汐留シティセンターへの道のりをバリバリの英語で聞かれた記憶がある。バリバリの英語で身構えて締まったことが鮮烈だったせいか、あの時なんで新橋駅にいたのか覚えていないくらいだ。丁度地下道をまっすぐ進めば左側にある、という中学生の英語の教科書並みに単純明快なルートのおかげで案内できた。ただ、英語はそこまで得意ではないバリバリ日本人の僕は

please go down this stair で go straight して、そしたら you"ll see on left side う~んとここからだと余裕見て about ten minutes.

とまあ、日本語で無理やりくっつけた無理矢理な逆ルー大柴じみた英文が精一杯のレベルだったけれども。

話しかけられると拒めないのだ。夜の駅前でよく見る居酒屋の店員さんの呼び込みとかキャッチくらいは速足で通過してあしらうくらいはできるが、自分に来られたら門前払いということができない。

拒む、ということは相手を否定する一種の行為だ。そう考えてしまうと、失礼というよりも拒まれた側が感じるであろう一抹の空虚感に心を持っていかれて、結局は後ろ髪を引かれてしまって要らない勧誘までも話を聞くハメになる。こういう人間だからこそ、基本居留守を使うべきなのかもしれない。

サンプル目当てで応じた生協の勧誘も断るまでにかなりの時間を要したし、最近は新聞の勧誘も居留守で受け流した。淡々と断れないのが悪いのだが。

これって短所だろう。そう思っていた。

ただ、付き合いの長い友達には聞き上手という自覚ない賛辞をもらったことがあるし、片手で足りそうな他の友達も、付き合いが長ければ絆が深まっているような気がする。友達同士で会うと聞き上手、というより自らトークを引っ張ることが多く、ツッコミ多めで、たまにボケたりして笑いを求めるし、お酒を交わらせれば互いの仕事から人生設計に至るまで深い話をすることもある。自分が話したいところは存分にでしゃばるけれど、向こうの話には思いっきり引っ込んで相槌と適度な質問で話を引き出す。話す、身内であろうともこれだけで異なった考えに触れ合え、おまけに自身の凝り固まったものを取り去ることもできる凄いツールだと思う。

こういう風に「転」の場面で話が脱線するのも、自分にはよくありがち。

でも少し繋がっていた。相槌と適度な質問、少ない口数で話を引き出すことができる、会話のラリーを続けられるって長所なのでは?と思えてきた。これが不特定多数のどの方にも使えれば武器にもなれるかもしれないが、人見知りだから気付かないうえに、長所と自覚できなかったのだろう。

こういった性格は滲み出て、オーラとか顔つきに現れると言う。話しかけられやすい、というのはきっとそこからきているのだと思う。

自分の顔つきは寝不足で目が死んでると思うのであんまり見た目はよくないと思ってはいるのだが、実は多少イイお顔なのかもしれない。

余談

noteのどなたかの投稿で見たこれ、やってみました。

自分は擁護者でした。

みなさまもぜひ。


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