見出し画像

同じ言葉でも伝わらないならもう

駅員から始めた社会人も今は関連のないところにいるからよくわからない。
よくわからないから受けが良い駅員を自らのキャリアの接頭辞の如く使っている。
ここまでの流れは早かったのか遅かったのかと聞かれると、最初の転職をしてからは今までかなり早くなったと断言できる。

同じ世界に生きていても、時間軸が同じな日本人同士であっても、仕事が変われば接する人も変わるし、見え方も違ったりして、それがもう別次元に飛び込むかのような感覚。
それくらい異業種から異業種への転職は実にガラッと変わるものだな〜と思い知らされた。

だからこそ未だに学ぶことも多いのだが、この異なる世界観でも共通していることがある。
同じ言葉でも伝わらない人がいる、ということ。
社会に出ていれば、学力差とか経済差による最終学歴に違いはあれど最初からある程度は同じだと思う。
自我を今ひとつ抑えきれていない子供から思春期を経て、大人の一歩手前までは歩んでいる道は皆同じはずなのに、ごく普通の社会人が、ごくありふれた社会人に、伝わるように言葉を並べてみても伝わっていないと感じる場面の多いこと。

と書いている自分も、問われたことに対して完璧に答えられている自信はない。
しかし意味は理解できているはずだし、齟齬が生じるならばほんのニュアンスの違いくらいなものだろうと思っていたが、仕事をしていて言葉すら理解できていない人の多さに驚いたものだ。

駅の窓口でお客様と接して、わかりやすく言ったつもりでも間違ったことをされて、お互い二度手間になってしまったり。
駆けつけでお宅にお邪魔して症状を確認した結果を口頭で説明して、対面で報告書の確認をお願いする際に説明した内容と同じだと確認してもらったのにも関わらず、後日再び同じ説明を求められたり。

今の会社で依頼されたことに対してLINEで返答しても、わざわざ電話をかけてきてその件についてLINEと同じことを聞かれて、LINEと同じ返答をする…といういらないラリーをさせられることがちょいちょいある。

言葉足らずではなく、むしろ文字数は多いほうだ。
ここの中のこういう部品が、と専門用語を伏せて返答することが多いから自ずとそうなりがちではある。
ディレクションが雑なのは自分が嫌いなことなので、そこを雑にしたくない思いはある。
…むしろ頼んでくるほうのディレクションが雑なことに苛つくこともあるがそれは別の話。

接する年齢層もどちらかに偏っているとかではなく、老若男女バリエーションに富んでいる。

…となると、もしかして自分が喋っている言葉は日本語と信じていたけれど、実は日本語に聞こえる外国語だったのか?なんて疑うしかないのだが、少し時間をおいて考えても、その場面で自らが考え得る限り最適な日本語をチョイスしているとわかると、もう訳がわからなくなってしまう。
正直、呆れたりすることも多い。

日本人であれば日本語が伝わるもの。
言葉を喋り始めてから考えもせずにそんな考えで生きてきたが、社会に出てみるとそうでもないのだと実感させられる。

「3人に1人は日本語が読めない日本人がいる」
らしいが、実際はどうなんだろう。

英語であろうと、スペイン語であろうと、今まで書き連ねてきた日本語でも一番難しいのは、話し手が発した言葉が受け手も同じように捉えられているかもそうだし、
なによりその発した言葉は正しいのか?という捉え幅が個々人によって差を見せる広さなのかもしれないし、そういったことは日本語だけでなく他の言語でも波及しているのだろう。

YouTubeやテレビで絶妙なワードチョイスや語彙力が光っている方々を見て人気を博していると、すごいと思う。
そんなに評価されるほど、幅広くビタッと同じように伝わっているそのセンスを羨んだりもする。

サポートいただけたらnoteのネタとして使わせていただきます。 サポートしてくださる気持ちだけでも歓迎です!