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映画の話#1 マイケル・ムーアは教えてくれる。

結構書きかけの記事も多くてアレなんだけれども、大統領選挙の情報洪水が世の中に溢れすぎている現状で、どうしてもこの話を書きたくなったので特に誰からも求められていない映画の話シリーズを唐突に始めることにする。

自分が影響を受けた映画のことなどを書いていくつもりのこのシリーズ。第一回目は超大国・米国の病巣を僕らに教えてくれている、アメリカの近藤春菜こと、この方の作品についてだ。

民主党支持者で左派のマイケル・ムーアの作品を「政治色が強すぎる」と嫌がる人もいるだろう。でも、実は元々はそうではなかった。「権力への批判」「弱者の味方」は彼の信条なので変わらないが、それをユーモアで包んでエンタメにする。昔はそういう作風だったのだが、徐々にユーモアがなくなってきている。笑えなくなってきているのだ。

なぜ笑えなくなってしまっているのか?彼の手法が変わってしまったから、ではない。「アメリカ自体が笑えない状況になってきてしまっている」からだ。そういう意味でも、彼の作品は、いつだってアメリカのリアルを僕らに教えてくれる。日本のメディアを通してはわからない本当の姿を。

笑えた頃のマイケル・ムーア

最初に彼の作品を見たのは、WOWOWでみたこのテレビシリーズだった気がする。

警官による黒人への過剰な暴力、富める者と持たざる者・・・。テーマは同じでも、この作品はドキュメンタリーというより、皮肉を込めたTVショーだ。アメリカっぽい悪ノリが、今となっては懐かしい。笑えるが見る価値はあんまりないかも知れない。

ムーアの故郷、ミシガン州フリントは、大企業ゼネラル・モーターズの城下町。絵にかいたような「古き良きアメリカ」の生活は、工場のメキシコ移転に伴うレイオフで一変する。数万人の失業者が生まれ、治安は悪化。失業者対策も上手く行かず、街は荒廃するばかり。ムーアはCEOのロジャー・スミスに会おうとあの手この手で近づこうとするのだが・・・。

この街に活気を持たそうと企画した「ミス・ミシガン」によるパレードのシーンはバカバカしいのだが物悲しい。その街で、ウサギを繁殖させては食用として売って食いつないでいる女性のエピソードは対照的だ。

「貧乏人は努力が足りない」「アメリカには夢があるから、それを掴もう」この映画の中で繰り返される富裕層のコメントこそ、今のアメリカを生んでいる。技巧は低いが、そういう意味では今見返す価値がある作品かもしれない。

ただ、とりあえずムーアで1本を選べと言われた、やはりこの作品になる。

ムーアの名を一躍とどろかせたのがこの「ボウリング・フォー・コロンバイン」だ。1999年に発生したコロンバイン高校の銃乱射事件。なぜアメリカだけがこんなに銃による死者が多いのか?

その根源は「復讐への恐怖」だとムーアは言う。根源的に白人はおびえている、というのだ。自分たちが土地を奪ったネイティブ・アメリカン、奴隷制を引いていた黒人たち、そしてマイノリティに。

自身の楽曲が乱射事件の影響となったとバッシングを受けたショック・ロッカーのマリリン・マンソンは言う。「メディアはあおっている。恐怖と消費を。それがこの国のやり方さ」と。彼のいうことは全く正しい。その証拠に今回の選挙中も銃や弾丸が死ぬほど売れたというニュースがあった。銃社会アメリカの病巣は根深い。

この頃は「日本は遅れている。アメリカではこうしている」というような情報ばかり目にしていたので、ものすごくインパクトがある作品だった。日本では得られないアメリカの姿。作品としても面白く、ユーモアとドキュメンタリーとしての出来が俊逸で今見ても面白い。

アメリカっていい国なんだろうか?言われているほど日本の制度って悪いんだろうか?そういったパラダイムシフトを僕に起こしてくれたのはこの作品になる。

ただ、このあたりから、彼の作品から笑いがどんどんと失われて行ってしまうのだ。

徐々に笑えない状態になっていくアメリカ。

今回の選挙と同様で大モメした前例として出されたジョージ・W・ブッシュを大批判して大騒ぎになった映画がこの華氏911である。カンヌ国際映画祭にてパルムドールを受賞。

この映画自体、衝撃的な内容だったが、面白くはなかった。アメリカの病巣というより、イラク戦争とブッシュへの怒りが全面に出ており、批判をオブラートに包むユーモアは影を潜めてしまっているからだ。

しかし、イラクに大量破壊兵器はなかった。ムーアの仮説の通りに。普通に考えたら大統領辞任だろう。誤った情報で戦争を仕掛けて多数の命を奪ったのだ。とんでもない話である。

それでもアメリカはそうならない。「復讐への恐怖」におびえるアメリカ国民にとって、テロリストを攻撃することは正当防衛に他ならないのだろう。

アメリカには国民皆保険がない。この映画を見るまでは全く知らなかった。そもそも根本的に医療費が高すぎる上に、民間保険会社はあの手この手で支払いを免れようと画策する。人の命より会社の業績のほうが大事なのだ。

2本の指を切断してしまった人が、お金が足りずに中指をあきらめる。複雑骨折をしているのに、医療費が払えず貧民街に放り捨てられる女性。既得権益と政治の癒着・・・。

この作品はまだユーモアを感じられるのだが、描いている内容は申告すぎて全く笑えない。ようやく導入されたオバマ・ケアの行く末も不透明だ。

行き過ぎた資本主義に支配されるアメリカ。これが民主主義の国と言えるのだろうか?

そういう疑問に答えるように、ムーアは次のテーマで作品を取る。

規制緩和と金融工学を駆使してやりたい放題のアメリカ・ウォール街。醜いまでに利己的なアメリカ的資本主義の窮まった姿がそこにある。

もうこうなってくると、笑えないどころの騒ぎではない。市民逮捕をすると言ってウォール街に現れるムーアを見るファウンダーの目は冷笑にあふれている。自分たちは勝ち組だという鼻持ちならない上から目線は、アメリカの格差を一気に拡大させた。そして、映画全体を通して、ユーモアや皮肉にキレがなくなっている。

ムーアはこの映画の最後に言う。

「もう一人では戦えない」

いつまでたっても変わらないアメリカに、彼も疲れてしまったのだろうか。

いや、そんなことはなかったのである。

2020年大統領選挙が知りたかったらこれを見よ。

実は僕は「トランプ大統領」がさほど嫌いではない。日本の首相としては断固としてお断りなので右派だというわけではないのだが、彼がアメリカの大統領としてきれいごとばかり言うエスタブリッシュメントを振り回しているのは見世物としては面白い。

トランプ大統領が生まれる、と予言したのが左派のマイケル・ムーアだというのは示唆的だ。アメリカ資本主義に虐げられた人々をつぶさに見ていた彼には彼らの考えが良くわかる。もうアメリカの貧困層は限界なのだ。

彼は問題を民主党にも向ける。クリントン時代に民主党は労働者の支持を切り捨てて金融やITの大企業にすり寄っていった。ブッシュの対抗馬だったゴアが押していた環境ビジネスも結局は資本主義だ。黒人大統領のオバマですらその流れは変わらない。彼はその実、エリート政治家だからだ。二大政党が弱者を見捨てた結果の貧困問題や社会不安が、トランプを生み、ANTIFAやプラウドボーイズなどの暴力的な極右・極左団体の活動が活発化させている。

ミシガン州の水質汚染の話は衝撃的過ぎて言葉を失う。金儲けのために共和党の知事が行った新たなパイプライン事業により、最も水が豊かな州だったミシガンの水は鉛で汚染され、住民に健康被害がでたどころか、それを隠蔽し続けたのである。

「住民が抗議に来ています!」
「彼らは武装しているか?」
「マイケル・ムーアがいます」

ミシガンに駆け付けた抗議行動での警備のやり取りがこの映画に唯一の笑いどころと言えるかもしれない。

この状況でミシガンに駆け付けたオバマは信じられない行動を取る。皆を助けるどころかコップの水道水を飲むふりをするパフォーマンスを行い、住民を失望させる。

そうして社会的弱者たちは失望により政治に参加する意欲を失うか、怒りを覚えて極端な行動に出る。これが裕福な都市以外で起こっているところの全体像だ。資本と政治の腐敗が、結果としてトランプを生んだと言える。

そして、同様に資本と政治の腐敗に憤りを感じる都市部の若者たちは違う行動に出る。左派勢力の台頭だ。

「AOC」ことコルテス議員は、左派勢力の代表格だ。この映画にも出てくる。彼女ははっきりと「民主党を乗っ取る」と言い切っている。今までの政治家はまるで信用ならない、と言っているのだ。そしてこの層の左派の支持者は確実に増えている。

なんとなく日本のニュースを見ていると、トランプ派とバイデン派でアメリカが分断されているような伝え方をされているが、この映画を見ればそういうことではないことがよくわかる。アメリカは、主義における左右でなく、貧富における上下にも分割されているのだ。そういった構造が理解できる。

つまりバイデンが勝ったからと言って話は簡単には進まない。敵は四方八方にいる。アメリカはますます混乱を極めていくだろう。ムーアの映画を見ていればわかる。アメリカに巣くう病巣は「ロジャー&ミー」の頃から特に変わらず進行し続けているのだから。

全く笑えなくなったムーアの映画は、間違いなくアメリカの実情を表している。そう、全く笑えない状態になり、ポピュリズムに振り回されるアメリカの実情をだ。

それでもムーアはあきらめていない。

政治色が強くなって攻撃的な話はちょっと・・・と思う人も多いかもしれない。そういう人のために、最後にこの作品をお勧めしておこう。

タイトルからはさっぱり映画の内容はよくわからないと思うが、戦争で失敗して特に何も得ていないアメリカの軍部に代わって、ムーアが世界から素晴らしいものを強奪しようというのだ。

イタリアの休暇制度。
フランスのコースと見まがう豪華な給食。
フィンランドの公平かつ高水準の教育制度。
ドイツの過去を見つめる視点。
スロベニアの留学生にすら無料の大学教育費。

・・・などなど。

他の国のいいところどりじゃないか、という意見もあると思うが、この映画の素晴らしいところはラストシーンにある。

挿入されるのはオズの魔法使いのラストシーン。ドロシーが本当に必要なものは、彼女の足元にある。それにずっと気が付かなかった。

そう、各国で実施されている制度の大本は、自由の国・アメリカが発祥のものだのだ。自由、平等、多様性。アメリカは確かに文化的にも世界をリードする国だったのだ。

結局、彼は愛国者なのだと思う。自分の主張が受け入れられなくても映画を撮り続け、決してバイデンを支持しているとは思われないが民主党を支持する。アメリカを彼はあきらめてはいないのだ。

この映画でもムーアは僕に教えてくれる。諦めたらそれで試合終了ですよ、と。そう思えるのは安西先生よりも太ってしまった今の姿のせいだけではない。彼の映画には一貫して強い愛国心がある。だからそう感じるのだ。

僕も日本のいいところを見ていこう。そして、悪いところも見ていこう。彼の映画を見ると、そういう気持ちになるのだ。なぜなら、僕は日本が大好きなのだから。

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