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素直さをどう手に入れるか。

私が声優の専門学校に通っていたとき、いろんな人に口酸っぱく言われたのは、「素直さを持ちましょう。言われたら一回はそれをやってみましょう。」ということでした。

なので、先生の話はなるべくちゃんと聞いたし、言われたこともなるべくやるようにしてた。でも、やればやるほど自分の中に重さというか、しんどさが生まれてきて、だんだんできなくなる感覚がありました。

なんというか、私の中の美意識や内なる聖域みたいなものが侵されてる気がしたんだと思います。それでも周りは素直さを求めてきた。だから、頑張って「素直」になろうとして、心がどんどんぐちゃぐちゃになりました。

最後には、自分がどこに向かえばいいのか、何をしたいのか、まったくわかんなくなり、学校を辞めるという決断をした気がします。


それ以来、わたしは前より言葉にすごく気を遣うようになった気がします。自分と同じように、人にも侵されたくないエリアがある。それをどこか探しながら、そこをなるべく侵さないように慎重に言葉を紡いでいくようになった。入る可能性があるときは、せめてなるべく土足で入らないように、「尊重したうえで言いたいのですが」と、ちゃんと押しつけではないという意思を示していく。

もしかしたら、それは結果としてわたしの価値?というか人間性を大きく高めることになったのかもしれません。入られたくない部分に、なるべく入らないようにする。それは1面でみれば、大切な配慮であり、私がかつてされたかったこと。私が思ったより、周りが私のことを買ってくれるのは、そういうところがある気がします。

ただ同時に、私にとっては重い感覚です。人付き合いにおいて、地雷を踏むかもしれない恐怖を常に感じながら、生きているのですから。こんなことしてたら当然、相手が気にしないようなことでも「嫌われたかも…」と悩むことになるし、相手の一挙手一投足が気になって仕方なくなって、自分の間合いなど作るに作れなくなる。

逃げたいけど離れられない。私の人付き合いの感覚は、もしかしたら、そんなところからきているのかもしれません。

そんな自分を変えていきたい。もう少し他人と楽に接することができるようになりたいし、自分の価値観だけにこだわらないで新しい可能性を見てみたい。

でも、私の中の「素直」ではまたおそらく行き詰まる。うだうだ悩んでいた時、いつも読んでいるしいたけさん(しいたけ占いの人)のノートにこんなことが書いてあって、これだ!と思いました。

「ある技術が習得できる人というのは、『あ、それはそうかー!』と言える人である」
~中略~
「技術や影響の恩恵を十分に受け取れない人」の特徴は、その技術や恩恵を「自分がパワーアップするため、もしくは、自己実現をしていくための道具」として扱ってしまっている。

ある技術や影響の恩恵を受ける人と受けない人の違い
しいたけ占いのしいたけ.

まあ、詳しい内容は私が語るより、しいたけさんのノート見てもらった方がいいので、今回は私の感覚に落とし込むという点で、私の経験と結び付けてみます。


少しだけ話が遠回りしますが、こんな話をしたわたしでも、実は周りをあんまり気にせずに力を発揮できるタイミングというのがあって、それは「物事を新しく始めたとき・人と新しく出会った」です。

なぜかというと、「物事を新しく始めたとき」って、いい意味でそれに対するプライドや理想がない。美意識などもない。だから新しい価値観を容赦なく吸収できる。知りたいという好奇心だけで突き進んでいけるから、何にも考えなくても行けるのです。

人付き合いで考えても、「人と会った時が一番楽」なのは、相手がわからな過ぎて、まず相手を知りたい欲だけで行動していけるから。いい意味で「私はこういう人間です。あなたは?」と聞いていくだけでいい。

でも、だんだんその物事やその人がわかってくると、私の中で重くなっていく。こうしたいというプライドや美意識が出てきて、こうなりたいという理想が出てくるから。同様に相手も理想ができてきて、それにこたえないといけない。侵してはいけない。そんな感覚が、だんだんと私の心を動かなくして、親しい人ほど、親しい物事ほど気を使ってしまう感覚に陥る。それがわたしのうまくいかなくなる原因。

つまり、しいたけさんの感覚を借りれば、おそらく私がドツボにはまる瞬間って「自己実現や自分のパワーアップ」にその物事や、人間関係を使い始める瞬間。言い換えれば、理想の自分や理想の関係性ができてきて、それを追い求めだす瞬間かなと思います。

自分の聖域・美意識って、言ってしまえば自分自身の理想とすごく近しいものです。こういう風になりたい。こういう風なものが美しい。それはすごく大事なものだけど、同時に、それ以外のものを受け付けられなくなる排他性を持っている。

その排他性があるからこそ美しいと感じるのは間違いないのですが、同時に、自分の変化をどうしようもなく妨げてしまう原因にもなってしまう。それが、私という人間の力を出せなくさせている理由だと思います。

でもきっと、その理想を作るのは止められない。だって、こっちの方がきれい・美しい・楽しいって感覚を求めていくのって、それ自体がすっごく楽しいから。それに、成長したい・もっと前に進みたいという意思の表れでもあります。

自分なりの何かをしっかり積み上げて、唯一無二の答えを求めていく。それってすごく、自分のアイデンティティにかかわるレベルで、人がどうしてもやりたくなることなんだと思ってます。

ならどうするか?

簡単です。自己実現を、自分の成長を、やめればいい。

たぶん、しいたけさんの言う『あ、それはそうかー!』って言う感覚って、おそらく「わたしが好きなものとは違うけれど、それはそれで面白いし美しいよね」っていう感覚なんだと思うんです。最初から自分の中にない答えである、ということ。

それを無理やり自分の理想や美意識に結び付けるから、吸収できない。「自分の理想のために、相手の言ってること吸収するぞー!」だと必ずどこかで矛盾が起きて、何にもできなくなる。

だから、1つ距離をとってみる。「これはあなたの理想や美意識によってもたらされた答えなのですね」と。自分の自己実現や成長に結び付けない。

その上で、あくまで他人の理想や美意識のまま、とりあえずやってみる。そうすると何か新しく、面白い部分が見つかることがある。その瞬間、自分がちょっと変化して、結果的に周りから見れば成長になる。新しいアイデンティティになっていく。

FF14をやってるからRPG的に例えたくなってしまうんだけど、ナイトをしていて、剣術にすごく美意識を持っている。だからもっとすごいナイトになりたいとおもって剣術ばっかり磨く。

そうすると剣術ではすごくなっていけるかもしれないけど、必ずそこには限界がある。今のFF14なら、レベル90になったら、新しい技覚えなくなってしまうし。

でも、そこでとある人が黒魔術を覚えてみたらとかアドバイスしてみるんです。するときっと、剣術に美意識を持っている人の中には剣術への理想形があるから、黒魔術とはどうしても結び付けられないんですよね。「真のナイトはそんな邪道なことはせぬ。」みたいなw

だから、結び付けないで、乗っかってみる。「まあわたしは現状かっこいいと思えないけど、まあ面白いかも」ぐらいでいい。やってみたら、思いのほか面白くてはまってしまったりするかもしれないし、剣術メインで行くとしても、いざというときに黒魔術覚えといてよかった…!ってなるかもしれない。そんなんでいいんです。


自分の理想って、いうなれば自分が今から未来に描いているレールです。それを突き進むのもきっと悪くないでしょう。でも、他人のアドバイスとかってきっとそれとは別の可能性が提示されているだけ。

だから、選ぶ基準は単純です。「どっちが面白いか?」w

それが本当の意味での「素直」じゃないかな。「今の美意識と合わない」と思っていい。「理想とは違う」と思っていい。時に自分の中で拒絶が起こって数歩後戻りしたっていい。ただ、自分の美意識を磨くだけじゃない面白さに気づけたら。

わたしはもっと面白くなれる。

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