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【ひなた短編文学賞・佳作】波に揺られて、 / 吉田六

23年6月、「生まれ変わる」をテーマとした、初めての短編文学賞「ひなた短編文学賞」を開催致しました。(主催:フレックスジャパン(株) 共催:(一社)日本メンズファッション協会

全国から817作品の応募を頂き、その中から受賞した17作品をご紹介いたします。様々な"生まれ変わる"、ぜひご覧ください。



【佳作】波に揺られて、 / 吉田六


  パパの声を久しぶりに聴いたのは連日の雨があがり、真っ青という言葉がよく似合う夏空の日のことだった。風が穏やかにながれ、蝉の声がかえって静けさを際立たせるような、そんなやわらかい夏の日。パパが波に連れていかれたのもこんな日だったっけ。
  パパとの思い出はいつも海の匂いがする。あの日もそうだった。わたしは買ってもらったばかりの水着が嬉しくて、帰りたくないと言って両親を困らせていた。あの時、わたしがもっといい子だったら、もっと早く帰路についていたら、パパはどこかの知らない子のために海に入らなかったのかな。
  あの日からもうずいぶん経った。わたしもママもパパを忘れたことはないけれど、それなりに前を向いて生きられるようになっていた。パパが助けたあの子もすっかり大人になって、最近家庭を持ったらしい。そのことに本心から「良かったね」と言える自分がいることに安心したのを覚えている。同時に、このまま前ばかり向いて生きていたら、いつか本当にパパのことを忘れてしまう気がして少し怖くなった。さざ波に逆らって歩いていたら、いつか気にも留めなくなるように。
  そんなある日のことだった。おばあちゃんから見せたいものがあると電話があった。パパのおばあちゃん。パパがいなくなった後もわたしたちのことを気にかけてくれる、本当に優しい人だった。パパの実家を訪れるのは数年ぶりだった。丘の上の、窓から海が見える家。おばあちゃんはこの家でどんな気持ちで生きてきたのだろう。息子を奪った海と否が応でも顔を合わせなければならないこの家で。
  会話もそこそこにおばあちゃんが持ってきたのはビデオカメラだった。パパのビデオカメラ。
「昔、三人でうちに来た時に忘れていったのね。この前片付けしたら出てきたわ」
おばあちゃんはそう言って録画の再生ボタンを押した。
  パパの声だった。ああ、そうだ。こんな声だった。顔には写真で会えた。匂いは海が教えてくれた。でも、この声と会うのはあの日以来だった。気づけばわたしもママも泣いていた。声をあげて泣いていた。そんなわたしたちを優しく見つめながらおばあちゃんは、
「もしね、生まれかわりというものがあるなら、あの子はとっくに次の人生を楽しんでいると思うの。だからね、あなたたちにも今を生きてほしいわ。でも、でもね、もしも過去に逃げたいときは逃げていいのよ。そのときは一緒に泣きましょう?」
そう言って微笑んでいた。ああ、そうか。おばあちゃんはしっかり過去と生きてきたんだ。この家で、海の見えるこの家で。
  次の日、わたしたちは三人で海へ行った。その日も波は穏やかに、やさしく揺れていた。




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