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誰のための復興なのか? 復興という言葉について考える。

聖火ランナーが走っている。途中何度か聖火が消えたようだけれど、それはトーチメーカーのせいでも、現場担当者のせいでもなく、何か目に見えないチカラなんだろうと僕は思う。
現地の生活者と亡き人たちのやりきれぬ思いがそこに灯る火を聖なるものと呼ぶことに抵抗しているのだ、きっと。
それこそ聖なる施設として神域化して人々を寄せぬようにするしかない廃炉にすらできない何かの脇で、にこやかに聖火を運べる方がどうかしてるんじゃないだろうか。

原発を止められないのと同じ体質をもって、その歩みを止めない東京オリンピック。数々の報道やSNSから「復興五輪」や「復興の証」などという言葉を見聞きするたびに思うのは、そもそも「復興という言葉を使うことが間違っていたのでは」ということだ。

先日福島に訪れた際にも強く思ったけれど、

いったい復興とはなんなのだろう? 「復興を果たす」という言葉があるけれど、復興は本当に果たさねばならぬものなのか? だからオリンピックも開催せねばならぬのか? 

東日本大震災から10年という月日が経って、東北は復興したのではなく、変化した。そしていまこの瞬間も変化し続けている。「復興」という言葉の罪は重い。敢えて言いたい。

被災地は復興なんてしなくていい。

東北は復興という言葉にしばられなくていい。あたらしい街を、暮らしを、つくっていけばいいのだ。自然のチカラによって悲しくもスクラップされてしまった土地で、暮らす人々は着実にあらたな日々をビルドしていく。それは紛れもなく新たな生活だ。

復興という言葉につきまとう、過去に戻ろうというチカラが原発を再稼働させようしているのではないか。コロナ禍においてなお、それ以前の五輪マネーの復活を期待し続ける人たちにとって「復興」とは、なんと都合のよい言葉だろう。

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藤本智士(Re:S)

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編集者。1974年兵庫県在住。『Re:S』『のんびり』『なんも大学』編集長。著書に『風と土の秋田』リトルモア、『魔法をかける編集』インプレス。『アルバムのチカラ』(共著:浅田政志)赤々舎。その他、『ニッポンの嵐』『るろうにほん 熊本へ』(佐藤健)など、手掛けた書籍多数。