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毒親被害者の私が「親ガチャ」という言葉に思う事

最近ネット上で「親ガチャ」という言葉がとても有名ですよね。

良くも悪くもインパクトがあり、「親ガチャ」こんなにも短い言葉なのに複雑にも多くの意味を含み、何が言いたいのか伝わってしまう…本当によくできた単語だと思います。


さて、私は毒親に身体障がい者にされました。そして非常に沢山の身体的な暴力、言葉や精神的な暴力、過干渉、ストーカー、監視、軟禁、恫喝、窃盗、経済的DV等…ここには書ききれないほどに沢山の酷いことをされて、精神を病みPTSDになったし、海外まで逃げた「正真正銘の毒親サバイバー」です。

そんな私が「親ガチャ」という言葉についてどう思うか書き綴りたいと思います。賛否両論あると思いますがこれは私の意見だと思って耳を傾けてくれるとありがたいです。

◆◆◆  ◆◆◆

私は「親ガチャ」という言葉は嫌いです。

なんというか、無責任という印象を持っています。

私は上記のように毒親に沢山の酷いことをされてきたので、間違いなく「親ガチャ外れ」です。ソシャゲでいえば☆1の低レアのポンコツクソ雑魚ナメクジです←

でもだからと「親ガチャ ハズレ」だなんて口にしたくありません。

なぜならば親が毒親でクズだったとしても、親のせいで人生は不幸だったとしても、少なくとも大人になれば自分の人生は自分で切り開けると思っているからです。

確かに幼少期など親の保護下に入っていた頃はとても辛く、良い親の所に育ってたら友達も沢山できて幸せだっただろうな。と思うことはあります。

でも今更それを悔やんでも、それは既に過去の事で変えられることは出来ません。

けれど今と未来は変える事ができます。

特に大人になれば、自分の意志と自分の力で毒親の元から離れられます。

まずはバイトからでもいい。働いてお金を稼いで一人暮らしすれば毒親から離れる事ができる。

親が貧乏だから大学に行けなかったと悔やむ人もいるけど、社会人としてお金を稼ぎながら大学へ入学する人も沢山います。

毒親がしつこく過干渉してきても、逃げたりある程度の方法で自分の身を守ることができる。

恋愛したり結婚したり、愛がある家族生活を築けるのも自分の努力次第。

性格だって自分が認識して、良い性格にしようと修正することもできる。

少なくとも大人になれば、自分の行動や努力次第で未来は無限大にいい方向へ軌道修正できると思っています。

だから「親ガチャに失敗した」だなんて無責任な言葉を言いたくない。

確かに親のせいな所はありますよ。

でも親のせいにした所で何も変わらないのです。

そして自分の人生に害を与える親なら、そんな親は思い出したくない。

スッパリと自分の心や記憶の中から消してスッキリしたい気持ちが大きいです。

だから「親ガチャに失敗した」という言葉には、これからの将来への諦めの意味を感じます。だから嫌いです。

少なくとも私は、これからの将来や幸せは自分で築いていくものだし、そこに親は関係ないと思っています。


人生、誰もが平等ではありません。それは残念ながら当たり前の事。

その不公平さを競い争っても意味がないのです。

だから私は過去に毒親に酷いことをされた「親ガチャ失敗」した低レアのポンコツですが、他人に「君は親ガチャに失敗したね」なんて決めつけられる筋合いはありません。

だって今、私は毒親から逃げて沢山頑張ってきて、幸せだから。


それにソシャゲでも、☆1のポンコツでも錬成すれば結構強くなれるでしょ?

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