日本の伝統芸能への思い

サンタアナ(カリフォルニア)オン・マイ・マインドから考える。

米国バイデン政権、民主党による内政失敗の典型は、霧のサンフランシスコの治安悪化、ゴーストタウン化の現象が示している。
アメリカ好きにとっては、信じられないことだ。

1976年のことだから、もう48年前になる。
銀行のカリフォルニア現地法人に転勤辞令を貰い、嘘のような青空が輝くサンフランシスコ空港に降り立ったのは。
洗練されたイカシタ、ちょっとスノッブな街だった。
出迎えてくれた先輩は今はもういない。

25歳の同期入社若者4名を派遣した銀行に感謝、研修生の一人として南カリフォルニアのサンタアナの現地銀行で研修を積んだ。
サンタアナと言えば、今はSHOHEI ・OHTANIのベースボールによって日本と世界に有名になったがあの頃はまさに田舎町そのもの。
エンジェルス球場も外野席がガラガラの二流球団の象徴、
そんな球場で初めて会った日系アメリカ人のお姉さんの案内でエンジェルスの試合をよく見た。
研修生仲間の一人が、ロスアンゼルス支店に勤務して、アメリカ人の同僚とドジャース球場に観戦に行った話を聞いてうらやましく思った。
そのドジャースに最近SHOHEI が移籍。これも何かの縁だろう。

サンタアナの銀行の仲間たちは、日本から来た私にえらく関心を持ち盛大に歓迎会を開いてくれた。好奇心の塊のような眼で私に向かい、日本のこと(政治経済ではなく、文化伝統)を教えるようにせがまれた。
着物を着て見せるでもない、歌舞伎の説明をするでもない、
自分が日本の伝統について外国人に何も説明できないことに気が付いた。
恥ずかしいと思った。

3年後に帰国、赴任地は大阪支店になり、銀行の独身寮が京都寄りの水無瀬にあった関係から(日本の伝統を知らないとの反省から)京都にある能楽観世流会館に通う日が始まった。
朝一番の謡、舞踊から始まりその日の「能」迄飽きることなく見ていた。
1979年に帰国して、その後私の人生でカリフォルニアに戻るチャンスはなかった。
関西勤務期間で学んだ能楽をカリフォルニア時代の友人たちに説明する機会は無い。

最近この能楽に関心が戻った。
大蔵流小鼓の人間国宝の方が、能の説明をしてくれる番組に接し改めて、「能」の面白さに気が付いた。この方がミドルネームがあって、それが秦(ハタ氏、帰化人の名)という説明に会い日本の伝統芸能が実は7世紀から続く長い道のりであることに気付かされた。
雅楽の東儀秀樹さんは有名な方で皆さんご存じでしょう、
彼もHPで自分は秦氏の末裔の一人と説明されている。
日本の能楽も室町時代の足利将軍たちに愛された観阿弥・世阿弥親子が頂点ですが、
世阿弥が自分の能が秦河勝(聖徳太子時代の帰化人系側近)の流れをくむ、子孫の一人として、ミドルネームに秦氏(秦元清)を入れている、
大倉さんもそういう流れを汲んでいるわけです。

能楽が時代が進み徳川の時代に「式楽」として武家社会支配者側のものに格上げされる中で、大衆向けには、歌舞伎・文楽が出来てきて、日本舞踊や各種舞に繋がり、関西落語にもなっていく流れを大倉さんが説明されています。
京都の観世流会館で半分寝ながら、飽きもせず見ていた能楽の世界のなんと奥深いものかと今改めて気が付いたわけです。

今なら、48年前のサンタアナ地区のアメリカ人友人たちに、日本の伝統溢れる「真の姿」を説明できるのにと反省しきりです。
最近の世界における戦争日常化の悲しい現状見るにつけ、
我々ホモサピエンス社会は本当に進化してきたのだろうかという思い、
選挙イアーの2024年、賢い生き方を選択していこうじゃないかという気持ちで
いっぱいです。


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