尊さに辿り着く
過日触れた記事に信頼とは信用の積み重ねで成り立ち、それは好きの積み重ねにより成り立つ愛に似ていて、見返りを求めるものでない無償なことであると。
つまりは相手そのものがそのもの存在するということ、尊さ、尊敬に至ることで成り立ち、実は案外勝手一方的な面があるということだろう。
とかく信じるとか、愛するということに裏切られると人は憤慨するのだが、これを思えば怒りは間違っている要素も含むだろう。だって勝手信じたのだから。いや、怒りは良いのだ、怒りを勝手相手にぶつけることのあれこれが問題なのだ。
互いの愛や信頼の相互の与えによって成り立つということは案外常に脆く不安定であって、だからこそそれらは尊いのだろう。求めるものではない、与え合うことで受け取るという結果が生まれるということだ。
その尊さに辿り着くとことは容易ではないだろう。ある程度の付き合い、交流が必要であるし、それでもそこからの関係の崩壊など当たり前に生まれるものだ。
そこを踏み間違え歪んでしまった関係性を維持してしまう者も多いだろう。
人間関係とは難しいものだし、過去失敗も重ねてしまった自分にもそれは当てはまり、結果慎重に生きることを知ってしまったということだ。
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