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保険の外交員

統合失調症の症状が安定しないとき、でも生活のために、あるとあらゆる職業をした。

塾、ホテル、不動産屋、JAZZ喫茶、パン屋、などなど挙げればきりがいない。

その中でも、保険の外交員は、思い出に残っている。

私がいた営業部は日本で一番の営業成績をあげているところだった。

お金持ちの社長夫人や、夜はホステスをしながら掛け持ちで外交員をしている人、夫は教師で専業主婦だった人、長い黒髪のシングルマザーや西成に住む気の強いきれいな女の子、おっぱいの大きい頭のきれる営業成績抜群の独身者。

日本の縮図みたいにいろいろな人がいた。

契約者が行方不明になって、泣いている女の子に

「大丈夫??」などと野暮なことを聞けば、キッと睨み返された。

女性だらけの職場で、契約が取れなければ、泣いたりわめいたりは平常運航だった。

だけれど、先輩は、契約が取れれば、みんなをご飯に誘ってくれたり、後輩同士もお誕生日会などをしてはにぎやかに毎日を過ごしていた。

みなライバルだけれど、契約をとるという目標のもと一体感があった。

みな後腐れがなく、きりっとして、みなぎるパワーがあり、すがすがしかった。

私は社会で、女性であることをひけめに感じないのは、保険の外交員をしていたおかげかもしれないと思う。

あと、私が契約でよく助けてもらったのが、佐川急便やヤマト運輸のドライバーさん。

今でも荷物が届くと、必要以上に頭を下げてしまうし、どこか同志のような気持ちももってしまう。

あのときを一緒に生きていたという思いとともに。





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