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みーちゃん


10月2日(水)

今日は私の叔母である「みーちゃん」に会ってきた。ゆっくり時間をとって会うのは実に2年ぶりだったと思う。私たちには空白の二年間があった。そのことは後に書くとして。

みーちゃんは一昨年、医師からステージ4の癌を宣告された。このエッセイにもその当時の記録があるけど、癌が見つかった時はもうすでに肺や大腸などあちこちに転移していてかなり絶望的なレベルだった。身内はみんな隠せないくらいショックを受けていたし、私にも大切な人の「死」という強烈な危機感が一気に寄ってきたのを覚えている。ただそれを言葉にしたり態度に出したり、負けたり泣いたり悔やんだり、重く受け止めることすらイケナイようだった。そうしてみんながどこか自分の気持ちを黙ったままでいる、なんとも言えないときがあった。きっとみーちゃんはメンタルダウンすることも多くてかなり不安定だったし今考えても、死が迫る経験というのは到底想像しても想像しきれないものだから仕方ない。どれほど愛を込めて発言してもどこか浅はかになった。それにあの頃まわりが何をどう励ましてもみーちゃんはこう返した。

「だってあなたは癌じゃないじゃん。
私の気持ちなんてわからないんでしょ?」

だからあの頃、私が捧げた全ての言葉や励ましはスッと心に入るわけもなく。煙のように無いものだと思った。それから私は何も言わなくなってできる限り間接的にエールを送り続けた。きっと私は臆病で、自分の善意が届かないことに腹を立てたのだし、彼女や彼女の大切な今日を壊してしまうことが何より怖かったんだと思う。いつも胸にそういう弱さがつっかえていた。

はたまたそんなみーちゃん自身は、この二年間で何度も何度も泣いたり悔やんだり、諦めたり許したり、みじめになったりしても諦めずに病に立ち向かい、崖っぷちから自分の足で前進してきたのだと思う。彼女は今もなお頑張り続けているし、今日久しぶりに見た彼女は笑顔でこれまでを振り返っていた。未来についてもたくさんのことを語っていた。わたしとの昔話もたくさん教えてくれた。私はそれをずっと聴いていたくて、帰る筈の予定時間をかなりオーバーしても彼女との時間を過ごした。

そんな彼女が今日、私にくれたセリフは意外だった。みーちゃんは言った

「私は90%、癌になって良かったと思っているのよ。逆に癌になんてならなければ良かったと思うことは10%くらい。ほんとうに注射が下手な看護師に当たる時くらいね。もう、痛いことは少ない方がいいわ」


そして帰り際には、
一つの時間をまとめるみたいにして


「生きることに執着したら負けるの。
反対に、死ぬことを望んでもだめね〜。」


なんて。
彼女の言葉にはどんなにか奥行きがあって、見えない答えがたくさん詰まっているようだった。何を伝えたかったのか?その答えをわたしはまだ知らないけど、今日のことは大切に。いつまでも大切に胸にしまっておこうと思った。わたしにもその時が来たらきっと自分に問うて生きるのだろう。

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