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悲しみを預けて、悲しみを拾って。



私の作品は、「悲しみ」から生まれる。


喜びや、幸せや、平和よりも圧倒的に。妬みや、劣等感、焦りや怒りや苛立ち。そんな「悲しみ」を前に出して描くことが多いんだ。それはなぜかって?いつもいつも大きな悲しみがなくても。小さな棘がチクチクチクチク。胸の奥を痛くするからだよ。人は人のことを平気で傷つけるからだよ。
大人だからって、笑って誤魔化せるような擦り傷だって、治療しないまま増えていけば。それらはいつかちゃんと重くなって、もっと痛くなって、心をどんどん腐らせるんだ。人は人を壊すんだよ。
ただ、残念なことに。私があなたを傷つけることだってあるわけで。人は無意識で人を傷つけてしまう生き物なんだよ。結局、私だってあなただって同じ世界線に生きてる。ここでは「悲しみ」って平等なのかもしれないし、生きていれば誰だって小さな傷をたくさん抱えていくってことだろう。
だからこそ悲しみはそのうち、涙や悲鳴や、言葉にになっていくよね。あなたと私の違いを悲しんだり、喜んだりできるように涙や、声や、言葉みたいなお知らせシステムが生まれたのかもしれない。なんてね。

そういう訳だから私はちゃんと、助けを求めるようにしてるんだ。悲鳴をあげればすぐに駆けつけてくれる人がいるし、話を聞いて、共に涙を流してくれるひとがいる。そしてここでは、悲しみを書いているんだよ。涙じゃなくて言葉になって、私の心から出していく時。つまりここに「悲しみ」を残す時は、なるべく綺麗になって消えていくように。希望という光を足しているよ。

そんな弱さを抱えるのは私だけじゃないだろう。誰だってみんな「悲しいことがあった」って言えたらいいのに。我慢しちゃダメなんだよ。そして、あなたの大切な人にも
我慢させちゃ、ダメなんだよ。

ここで話は逸れるけど、私はいつも違和感を感じることがあるんだ。それは「いじめ相談窓口」とか「こころの相談室」とかのアレだ。アレって虐められている子が、大人に助けを求めるシステムなんだけど。「助けて」の声だよね。大人達の「助けてあげるよ」の声だよね。とてもとても大切なことなんだけど。
アレってば被害者にだけ。呼びかけていくじゃん。

でも本当にカウンセラーをつけるべきなのは加害者なんじゃないかって。私は思うんだよ。加害者こそ、心が腐っている。誰かに心を壊れされた本当の被害者なんだ。悲鳴をあげてもあげても誰も聞いてくれなくて、涙を流しても誰も気づいてくれなくて。そのうち涙が枯れて心がおかしくなってしまった本当の被害者なんじゃないかって。

結局、子供のいじめも、大人のDVも、殺人だって同じことだろう。誰も聞いてあげなかったから。我慢させてきたから、おかしくなっちゃったんじゃないかって思うんだ。本当は誰のことも恨んでない、普通の命として生まれてきたのにね。

だから私は違和感を持つんだ。本当に必要な心の相談室は、加害者に向けてだろうと。今すぐに駆けつけて、よく聞いてやらないと事態は変わらないって。



ここで話は戻るけど。じゃあ、私たちにできることは何だ?って話をするよ。それは「悲しみ」を溜めないこと。そして、溜めさせないことだろうと思うんだ。自分の心に余裕がある時、近くに落ちてる悲鳴をたくさん聞いてやった方がいい。たくさん、たくさん聞いてあげなきゃいけないよ。そして、自分も同じ。辛い日はどんどん聞いてもらった方がいいよ。
溜めちゃいけない。溜めさせちゃいけない。


それから最後に書いてみるけど。欧米では、1人に1人ずつカウンセラーがつくくらい、カウンセリングは日常にあるんだ。私はそれが日本でも、同じようになったらいいって思ってる。もっともっとフランクに、「悲しみ」を拾って、「悲しみ」を預けて。それで社会が良くなったらいいよねって思ってる。


未来が良くなったらいいよね。





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