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おっさんの叫び




我が家の息子、五歳のレイは最近アーティストの「Ado」にハマっている。USJのハロウィンナイトで使われたあの曲をご存知だろうか?踊り回るゾンビたちが、変わり者の息子の心をくすぐったのだろう。そういうわけでつい先日、Adoのファーストアルバムをねだられて、購入した。わずか五歳でCDデビューというのは早すぎる気がしたが、あれから息子はケースが傷だらけになる程、持ち歩いて聞いているよう。そしてちょうどその日は、スーパーまで向かう車内でそれを流し、BGMは「うっせぇわ」だった。Adoの妖艶で激しい歌声が響く車内、「いいねぇ〜、Adoはやっぱりかっこいいよね〜」なんて息子と口ずさみつつ、車が赤信号で止まったその時、

Adoと私たちの歌声に混ざりこむように、なんだか生々しいおっさんの怒号が響いたのだ。



「おぉい!!!!!うおおおおい!!!」



「!?」


何事かと驚いて振り返ると、そこには今にも人を殺しそうな鬼の形相。全力立ち漕ぎのチャリのおっさんが歩道を駆け上ぼっていたのだ。迫力満点。派手だけどぼろいセルリアンブルーのダウンを靡かせて。吠えるよう叫んでいたおっさん。なんだかちょっと泣きそうにも見えた。それはあまりにも一瞬のことだった。

だが助手席に座っていた息子はすっかり、リアルな大人の怒号にビビって震え上がってしまい、目をまんまるにして「ママ?おじちゃんは、なんで怒っていたの?」なんて何度も何度も聞いてきたりした。私だってあんなにも激しく怒りを露わにする人間を間近で見たのは久しぶりだった。車は窓を閉めていたのにも関わらず、すぐ側で叫んでいるAdoよりもずっと、おっさんは私たちの心を奪って行ったのだった。


そうしておじさんとすれ違うまま車を走らせる間、私は考えた。
ああやって、「うおおぉぉおおお!!!」と叫びたくなるほど、むしゃくしゃする瞬間が人にはあるよなぁ。「まじでムカつく!!!」とか言って、目の前のゴミ箱を蹴っ飛ばしたくなる日が人にはある。それにテーブルの上のグラスを手に取って壁に全力投球がしたくなる日もあるし、それでパリーンと割れて飛び散ったグラスの欠片を握りつぶして真っ赤で濃くて黒っぽい血を眺めたりしても、収まらない鬱憤を抱える日もある。それは全部例えばだけど、あのおっさんのことを少しも笑えない日が、きっと誰にでもあるよなぁって。



そんな時。このまま苦しい人生が一生続くのかとすら思えて悲しくなるんだけど。
かと思いきや、案外翌日にはけろっと笑って普通に、昼ごはんにカツ丼とかメロンソーダとかを飲んだり食ったりもしていて。人間って丈夫で、可笑しな生き物だなぁと思うんだ。

きっと人間のしくみって、「大丈夫」になるように出来ていて、歓びも悲しみも続かないようになっていて。感情は一定の時間に留まっているだけで、そのうち必ず流れていくものなんだって。それは誰にも変えられないルールなのだろう。なんてね。



話はそれたけど。
だからきっと、あのおっさんも明日には笑っているかもしれないし、一週間後には新しいターコイズブルーのダウンを着て家族と出掛けているかも。一ヶ月後には桜の前で、ビールを片手にピースしているかもしれないし、一年後には自分でも驚くほどに、新しい夢を追っているかもしれない。なって思った。がんばれよおっさん。

そんでもって、おっさんだけじゃないさ。

つい昨日まで、自分がこんなふうになるなんて思わなかった。一週間前までこんなことになるなんて知らなかった。一年前には、自分がこんな風になるなんて思わなかった。人生そんなものなのだろう。

怒りのおっさんが少しだけ気づかせてくれたこと。

10年前の私はエッセイも書いていないし、ヨガの講師でもない、これから治療家になるなんて微塵も思っていなかった。今の自分に1番驚いているのは確かに私の心かもしれない。おっさんも、私も、これからもっと頑張ろう。いいことがありますように。

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