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雨のち、雨のち、雨のち



今の日本は暗い。みんな浮かない顔をして何かを欲しがっている。それも何が欲しいのかは、分からないままな気がする。悲しそうな人を見るといつも、欲しがることは彷徨うことによく似ていると感じる。そしてそれを仕方ないとも思うんだ。というのも私自身ニュースやSNSを開けば、あちこちで不安や悲痛な叫びが聞こえてくる。人々がなにかを欲しがることで起きる殴り合い、盗み合い、殺し合い、蹴落とし合いが見えて気が滅入る。反対に、何かを手に入れた者たちは早々とそれを見せびらかし、焦りや煽りのような商売を組み立てて年商を積み上げていく。そういう価値判断ばかりを見ていると概念の世界から抜け出せぬまま、無意識に絶望をインプットすることになるもんね。自ずと脳は芯まで暗くなる。世間を知ろうと画面をひらけば、たちまちヤラレテしまう。

話は逸れるけど。そうやって最近、脳を支配されることに飽き飽きした海外の若者たちの間で「ガラケー」が流行り出しているんだって。本来のSNSは繋がりを深めるために生まれたシステムだった。けど、SNSを開くたびに孤独感が強まったり、強迫観念に襲われたり、SNSの普及率と比例して自殺率がうんと上がったことで、若者はちゃんとシンプルなところへ立ち返ったのだと思う。それは真意に近いしよりよく生きる術だ。テレビも、スマホもなければ心はとても平和だよ。
だから私も近頃は生活をできる限りガラケー化させようと、無駄なものはたちまち遮断している。それが良いとか悪いとかではない。自分が穏やかに生きるひとつの手立てだ。

話は戻るけど。
そんな画面を閉じて外に出れば、真っ黒の雲が世界を覆い、何日も何日も土砂降りの雨が続いている。やっぱり日本は今年の夏のおわり、とてもジトっとしているね。

だからこそ私は口を酸っぱくして言いたい。
この世界は多分これからずっと、こんな感じだよ。そんな世界に自分を壊されちゃいけないと。

悪天候に負けじと、不穏なSNSに負けじと、心だけはいつもあっけらかんといるべきだ。余計なことは人生を狂わせるから、いつだって自分を安全なところに置いて、大切な人と会話をしてみたり、目を見て、頭を撫でて、抱きしめ合ったり、優しい笑いを忘ないでいて。
美味しくてあたたかいごはんをたべて。手を繋いでよく眠ろう。優しい人にはいつも感謝して「すべては大丈夫。」と言ってみる。きっと、それだけでいい。それだけでいい。

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