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生死


君は毎朝、毎晩、死んでいいんだ



谷川俊太郎の「詩の本」を読んでいて
革新的な一行に出会った。
この一行をどう頂くか。
私の中で浮き上がった答えは一つ、
「死」とは「味方」のようだなと。

あなたはこの一行に何をもらう?



私にとってこの世界は、とても不確かだという感覚がいつもついて回っていた。それは、「昨日まで信じていたことが一変する。」なんてことがいくらでもあるからだ。「僕は、ポリシーを持たない」とブルーハーツの甲本ヒロトも言っていたしね。「ポリシーがない」というのは一見芯がなく、とてもダサいように思うが。それこそ真意だったのだと大人になって気が付いた。人生に「絶対」の文字がないようにね。

実際に、「コロナ」という魔物がこの世界にやってきた時、昨日までのあたりまえは無惨にも破壊され、世界中の人々が白い布を口に貼り付けた。沈黙を貫いたでしょ?触れ合いは禁止され、応援することも、手を繋ぐことも、言葉を交わすことさえも悪だと言われたんだ。昨日までの「正解」は神隠しにあい、皆が「不正解」を選んで生きた。そんな世界の続きを私たちは今日も生きている。
だからこそ、たった今「正しい」と信じている自分を今夜、殺すことになっても。明日またガラスのような朝を迎えて、透き通った自分を始めてもいいんだと思う。何度砕け散っても、再生していく。時に、散ることさえも美しく受け入れていく。
そんな冒頭の言葉は味方のように暖かく、私の胸に沁みたんだ。


何度も何度も死ねばいい。
そして生き返すんだ。

そうして変化していく人のことを、私はとても尊く思う。反対に、いつまでも同じことにしがみついて、同じような毎日を送り、日々の暮らしにうだうだ言う奴のことをイケすかないとも思ってしまう。こんな怒りは私のエゴだけど、やっぱりみんなが救われてほしいと思うからね。つまらない世界を生きるくらいなら、

終わらせたい自分がいるのなら今夜、殺してみるといいよ。愛を持ってね。
おやすみなさい。

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