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浮気現場と、死んだ私




みなさんは「浮気」について、何を思いますか?私は今だったら、もっと。諦めたり、呆れたり、諭したり、逃がしたり。そういうことができたのかもしれないって。そう思うんです。
ただ当時の私は、タダで逃すわけにはいかないと。復讐の念に燃えてしまいました。それは愛していたからですね。あ、愛していたのは彼のことじゃなくて、自分のことだったかもしれません。いやもっと正確にいうのであれば「彼に尽くすわたし」が好きで、愛していたのだろうと。それが私の敗因でしたね。
あ、。勝手に始めてしまいましたが。今日はこのまま、ゲス可愛い私の昔話を始めます。いいですか?

元彼の浮気が発覚したのは真冬。深夜のことでした。八王子の隙間風が冷たいボロアパートで、電気を消したままのトイレの中。というのは彼が寝ている間に携帯を盗み取り、トイレの中に持ち込んだのです。そこで一刻を争う私と、パスワードの一騎打ち。私はこの日のために相手を研究してましたから。最も簡単にパスワードを突破して、浮気相手との熱愛なやりとりを発見したのです。それを死んだ目で素早くスクリーンショット。トイレに響くカメラの音、小刻みな呼吸、震える手で、なんとか入手に成功した証拠達。それを今度は自分の携帯に送りこみました。送信完了。これにて完璧。すやすや眠る彼のもとに戻り携帯を置いて。音を立てず家を出ました。それらはわずか10分足らずの犯行だったと思います。

最後に眺める彼の穏やかな寝顔とは裏腹、私の7年分のアツイ恋が終わった瞬間。胸の奥が切り裂かれるあのシーンはきっと、私の人生の終わりに流れるエンドロールでバシッと使われることでしょう。ドラマみたいだった。よく頑張った。

それら一連の試練が深夜2時頃のことだったと思います。それから私は涙でよく見えない夜道を歩き、向かったのは多摩川の上。陸橋のてっぺんでした。「ここから飛び降りて死んでやろう」と意気込んでいたのです。少し早歩きで迷わずにきたんです。飼い主がいなくなったら私は死ぬんだっていつもそう、冗談まじりに言ってましたからね。冗談じゃねぇぞ。立派な名犬として支えてきたからこそ、私はそこで潔く死にましたとさ。
グッバイ世界

なんて。
今ここでこれを書いていますから。嘘になってますね。そんなスムーズにはいかないのが私でした。永野芽郁じゃなくて、私だからですね。運命を知っている神様は、名犬マリーとか言ってちょっと面白がっていたのでしょう。

ドラマじゃない。現実の私はちゃんと怖気付いて、多摩川を通り越し、さびれた漫画喫茶の一室でその夜を過ごすことになりました。私はこれから始まるはずだった未来が全部冷たくなって、この小さな枠に収まって、それに私には首輪がついたままだし。なんだかどうにも苦しかったことを覚えています。一睡もしないまま朝を迎えたんです。翌日は快晴。やたらな青空を恨みました。

それからというものの、私は闇に落ちてしまい。いや、自ら落ちに行ったと言ってもいいでしょう。東京の一番汚いところまで降りて、怖いものをたくさん見て、誰がどう見ても底辺と呼ばれる人たちの中に混ざり込んで、芯から不幸に浸かりました。日常の色をどんどん暗くして、腕や身体や心を傷だらけにして。まるで「不幸」を求めるように、繰り返し溺れることを選んだのです。そうして生きる理由には「復讐」という意味があってね。

そうです。私は、私が悲しむ姿を見せて、元彼を苦しめてやりたかったんですね。心を痛めて欲しかったんです。首輪をつけたまま苦しむ愛犬に気づいて!悔やんで、自分を責めて、苦しんで、苦しんで、苦しめ!!!!!いや、「ごめんなさい」って泣いて戻ってきてくれと。

それでもやっぱり神様は「そうじゃないんだな。」と言わんばかり。ドラマじゃないからって元彼は全然、登場しないまま。私の復讐劇は、呆気なく幕を閉じることになりました。そうそう。元彼はある日突然サクッと結婚しちゃったってわけ。それも浮気相手の女とはまったく違う女と。本当に気の合いそうな素敵な方と、とてもハッピーなエンドを迎えておりました。おめでとう。

そうして私はふと「復讐」の意味を失い、と同時に「元彼」という一つのストーリーが終わってしまったのですね。ここで最終回。今度こそ、気がつく時がきました。自分が、自分のために何一つ歩んでこなかったことを。

あの時、初めは本当に悲しかった私も、不幸の暮らしには痛みと同じくらい、居心地の良さがあったのです。だって、「立ち直ること」は「傷ついている自分」を失い、そこにいた痕跡すらなくなることだって。過去の栄光とオサラバすることだって。そっちの方が辛かったんだ。最終回まで来てやっと。被害者ヅラにも、いい加減終わりが来たなと。視聴者も納得でしょう。
渋々、自分が自分を幸せにするために生きないとって。そこで死んだんですね、ゲス可愛かった私が。というわけで次回、続編。



タイトル
人は、いつからでも「幸せ」になっていい。




です。
けど「幸せ」になるにも勇気がいりますね。あれから、幾つものストーリーを経て幸せだと実感するのには7.8年かかりました。少しずつ、少しずつ、主人公が毎度、勇気を出しては、ヨガの先生になったり、新たな恋人を見つけたり、交通事故に遭ったり、子供を産んだり、仕事でリストラされたり。それでも、小さな幸せを積み上げた「自分」との信頼関係なのでしょう。「自分で選んだ道」を、「自分」が歩んだ。そういった自信なのでしょう。ストーリーはまだまだ続きそうです。これからもっと、面白くなる。

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