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ちゃんとする



私には5歳の息子がいる。
名前はレイ。

レイは昨晩、自分の部屋でなにやら黙々と作業をしていた。こっそりドアの隙間をから覗いてみると、セカセカと段ボールを切ったり、重ねたり、ガムテープで毛布を貼り付けたりして、「段ボールのベッド」や「段ボールの机」を作っていた。更に完成した机にはタブレットを立てかけ自作のテレビを作り、ベッドの隣には空っぽにした棚を置き、棚の中には紙皿やお菓子などをたっぷり用意していた。「これでいつでもこっそり、おやつを食べられる。」なんて。
程なくして「ママぁ〜!できた!最高だよ、レイのお部屋!ねぇ、みてー?」と大きな声で私を呼んだんだ。続けて彼は真剣な瞳でこちらを振り向き言った、
「ママ?これがレイのお部屋だから。レイは今日からここで毎日、ひとりでご飯を食べるからね!ママとパパは絶対入っちゃダメだよ。」と。誇らしげに。

その様子に母はなんとなく戸惑いながらもひとまず
「おー、頑張って作ったんだねぇ。」と返した。

それから夕飯時になると、待ってましたと言わんばかり、先制を打つよう彼は再び私に言い放った。
「ママ!レイは夜ご飯、ひとりで食べるからね。」と。そこで私は彼に申し訳なく思いつつも、こう返したんだ。




「あのさぁ、やっぱり夜ご飯は一緒に食べない?」




すると彼は案の定、「なんで?」と顔を曇らせた。母の脳はすぐさま「まずいな」と納得しそうな言葉を探し、


「たとえば、ママが2階の部屋に上がってひとりでご飯を食べたいって言ったらどう?」と返した。すかさずレイは言う。「いいじゃん。」

「うーん。」さらに母は考え、
「じゃあたとえば、バァバのお家でみんなでご飯食べる時に、バァバだけいなかったら寂しくない」と聞いた。

レイは不貞腐れたように
「いいと思うけどねー」と続けた。

そこで今度は母の脳みそが少しの間、トリップしたんだ。

そもそも。みんなでご飯を食べないといけない理由ってなんなんだ。団欒ってなんだ?マナーってなんだ?しつけってなんだ?「子供がちゃんとする」ってなんだ?
「親がちゃんとする」ってなんだ?1人でご飯を食べちゃダメな理由なんて、そんな理不尽なことあるか?

そうして黙ってから、時間を置いて。今度は私、ゆっくり話し始めた。「れいくん、聞いてくれる?」子供の世界に立ってみえたこと、同じ目線に膝をついて言ったこと。

「1人で食べたいって思うそれはレイの気持ちだもんね。自分のお部屋って楽しいし、ワクワクするもんね。素敵に作ったしね。でも、

ごめんなんだけど

ママが寂しいんだ。」


それから私はもう少し細かく、「いつかの話」をした。レイがお兄ちゃんになって遠くに住んだら一緒にご飯を食べられないかもしれない。だから今は一緒に食べたい気分なんだと。本当にあるかわかんないけど、そんな時がきたらやっぱり寂しいから、今は一緒に食べてくれないかとお願いをした。


するとレイは驚いたように
「レイが遠くに住むこともあるの?」と。


私は心配させてしまったらイケナイと。今度は楽しそうに言葉を変えた。
「ママはレイに付いて行っちゃうかもしれないけどね!」なんて、精一杯の笑顔。母は少しだけ寂しい未来を本当に想像したらすぐ涙目になったりして、それを隠そうと大袈裟に笑顔を作ったりして。コロコロ変わる私の瞳を見てなにか分かったように彼は言った。「レイはずっとこのお家にいるよ。YouTuberになれる学校は近くにある?」私は言った。「あるある。」

それから「おやつは自分のお部屋で食べるけど〜」と言って彼は何かが済んだように食卓に座った。


家族三人で少しだけ未来の話をしながら食卓を囲んだ。いつもどおり。でもこれが、「なんとなく特別」だと知ってご飯を食べた。いつもならテレビはつけちゃダメだと言う夫婦なんだけど、今日だけは楽しくしたらいいと思って「特別ね!」なんてテレビを付けた。





育児って難しいんだ。
その時の正解なんて、誰もわかんない。育児本はたくさん出ているけどそんなの数えきれないほどある個性の中の単なる平均パターンを出したに過ぎない。一人一人違う人間なのに、同じ会話になることはないし、まったくもって同じシーンが訪れることもない。それに昨夜のことで私は少し分かったこともある。おそらく躾やマナーで言う「ちゃんとする」っていうのは、自分のためじゃなくて、人を喜ばすためにあるんだ。

食事中に携帯をいじらないのも、食事中にテレビを付けないのも、時間に間に合うように準備することや、清潔にしておくことも。それらはきっと、誰かを悲しませない為にあるのかもしれない。しあわせな時間のために「ちゃんとする」があるなら、昨日の私は正解だったろう。

息子は、涙の意味を知っている。
人を喜ばせることも知っている。
それでいいのかもしれない。

私と言う親が「躾」を間違えずに、
「ちゃんとする」を間違えずにいたい。
そうして
こどもたちが安心して笑ったり、驚いたり、想像したり、時には泣いたりできますように。それだけを考えて、私はまだまだお母さんを頑張ろうと思います。
今夜はそんな感じです。

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