MOTHER
9月17日(火)
昨夜、息子(6歳)が発熱をした。謎に続いていた咳のこともあり、肺炎じゃないか?とか、喘息なのか?とかふつうに心配だった。と同時に私の「楽しみな予定」が崩れ去っていくことを悟った。幼い子を抱える母親あるあるだ。リスケ祭りのフラグが立った週の始まり。案の定、ずっと楽しみにしてきた筈だった今日の予定は見事に散ってしまった。
たとえば私は母親だから、当たり前のようにスケジュールを調整したり、そういうことを「大丈夫」としたり、誰よりも先に楽しみを諦めるべきだと思っていたのだけど。そうやって思えば思うほど違った。「本当は、本当は楽しみなことがあったんだよ。」と、もうひとりの私が怒っていてどうにもならない今朝だった。
たとえば、今日の「楽しみ」のために緊張感のある日々を乗り越えてきた自分に、「とても残念だった」と言うことくらい許してあげたかったような。
そういう本音を誰にも言ってはいけないような「世間の価値観」があることとか。
母親にはこういうことが何度もあるんだと思ったら少しだけやるせなくなった。
そうして「残念」と「仕方ない」の間で揺れて、心から溢れたそれは「怒り」という感情に変わった。優しくしてくれたはずの旦那さんに当たり散らした後に反省した。収まり切らなかった感情は涙としてポロポロ落ちた。私はとびきりそういうことが苦手だと、またひとつ自分の未熟さと、旦那さんの優しさを知った。自分が悲しいからと言って、人を巻き込むのは本当に良くなかったと思う。
幸い、息子の症状は軽く。やっぱり「保育園イヤイヤ病」なんだと判断した。休みだと分かった途端の彼はケロッとしだして、一日中遊びまくっていた。少しだけ本屋さんに出かけて、息子と私は読みたい本を買って一緒に読んだ。喘息や、鼻炎の症状は諸々のストレスのようだし、運動会が終わるまでの辛抱だと旦那さん(鍼師)は言った。命よりも大切な我が子のことだから、夫婦で話し合えることが何よりの救いだと感じた。そうしているうちに私の心は静寂を取り戻した。夜になり息子の熱は上がった。全身にマッサージをしている間に彼はすやすや眠った。
今読んでいる本のことはまた今度書きます。
そういえば今日は名月だった。実母から「月が綺麗だよ」とメッセージが届いてすぐ外に出た。暗闇のなか放たれる名月の光は強く強く、地球にいる私までちゃんと届いた。豊かさっていうのはそうやって、いつもちゃんと側にあるものだと。信じて疑わないでいたいものだ。明けない夜にもいつか、まぁるい光が指しますように。