コロナについて好きに言わせてもらう
雨の降る夕方。いつものスーパー。
私は、息子のレイをカートに乗せて
そそくさと買い物を始めた。
野菜コーナーから
鮮魚コーナーを抜け
特売のケチャップを2つカゴへ。
そして
お肉のコーナーに差し掛かったその時、
ガーリックの香ばしさが漂った。
香りの正体は、ステーキの試食だった。
試食コーナーには、小さな人だかり。
ステーキを焼いている女性店員は
背が低く、まるまるとしていて
にこやかだった。
「珍しいね!」なんて、嬉しそうに。
案の定、レイは食べたがった。
「あれ?そういや、スーパーの試食って。
3年前まで当たり前だったよな。」と。
レイに「珍しい」と言われる、その
当たり前だった光景に
母はなんとなく複雑で、
なんとなく感慨深かった。
そして、
そんな平和な当たり前があったことを
レイは知らない。
その事実が 寂しかった。
3/26
「マスクは任意」って言われてからも
なぜか、99.9%の人間が
マスクをつけたままのスーパー。
我が群馬県、
最大のショッピングモールでさえ
外していたのは私とレイと
見知らぬ男性が1人。
任意だから、充分の結果だよね。
99.9%花粉症だ。いや、
自分の顔を隠したい人もいるよな。
楽だしね。
あとは、外しちゃいけない雰囲気の
集団心理?いやいや、
そんなことはないだろう。
もっと正当な理由がある人も多い。
職業柄、つけてるのが普通の人もいるよな。
「コロナが怖い」という人間もいるしね。
でも、もう少し外す人がいても
、、?
なんて。思って。案外、全然。
私がアホなだけで。
人間の心理は
そうじゃないのかもしれないって。
今日の今日。思ったんだよ。
コロナとか、マスクとか
もう何でもかんでも
あの試食と同じように
当たり前になってしまったんじゃないかって
。
それに対して文句が言いたいんじゃない。
ただ、
それはやっぱり
寂しいことのような気がしたんだ。
「コロナに負けるな!」とか言って
頑張っていたあの人はもういない。
だから心のどこかで
「もうあの頃に戻れない」と
言われているような気がして
しんどくなるんだ。
もちろん私にもわかっている。
コロナによって
富が与えられたケースがあって
zoomとか、オンラインレッスンとか
かなり画期的だったし。
私だって、今も重宝してる。
在宅ワークとかも最高だと思う。
大人は「無駄な付き合い」が減って
人生、楽勝!となったケースも多かったよな。
でも、
あの頃中止になった、甲子園はどうだったんだろう。なくなった小学校「最後の運動会」はどうだったんだろう。楽しみだった修学旅行は?今もなお、黙って食べている給食は?子供らが黙って食べる意味ある?
あの頃。使えなくなった公園の遊具を見てレイは不思議そうだった。私は俯くしかなかった。桜の下、ブランコでさえロープでぐるぐるに巻かれていて、母は誰とも会えないこの社会に縛り付けられ、今にも泣き崩れそうだった。それでもテレビをつけたらMステで、ジャニーズグループのアイドルはマスクなしでヘラヘラ踊っていて、そこからテレビが嫌いになった。結果、普及してしまったのはNetflixだ。夏休みの夏の花火大会の代わりに、Netflix。いや、おうちデートすらアウトだったよな。お正月の親戚の集まりは?おばあちゃんのお年玉は?家族団欒にはないじゃん。あのテーブルに置かれる透明の板。
なんて。今更だけどね。
死ぬほど悔しくても
「国に従わなくてはいけない」と生きた、
あの猛烈な心の痛みを
忘れてしまった人間は多い。
だからかな。私は大人なんだけど。
まだまだマスクが残るこの社会を見るたびに、疑問が湧くんだ。頭が沸くんだ。
私は頭の右側がズキズキする。
「今はもう従わなくていいのに。」って。ね
1人でもがいていて、アホみたいだね。
焦りすぎかな?
でも、焦っちゃうんだ。
あんな悔しくて、恐ろしい思いは受け継ぎたくない。このまま「当たり前を受け入れる」そんな子供が増えて、レイが大人になった時、またいつか繰り返されるんじゃないかって。
そう思うと、もう理由のない
マスクなんてつけていられないんだ
私の考えすぎかもしれないけど
これは私のエッセイだから
好きに言わせてもらって今回は
失礼しましたとは言わない。
最後まで
心の内を記しておく。
レイが大人になる頃、
もう少し私みたいなアホが増えて欲しい。
と願っている。
社会はあまり変わっていないかもしれないけど、アホな仲間とアホなりに楽しくやって欲しい。
ちゃんと
顔色を見ないことがデキる大人になって
心が豊かであってくれ。と願うよ。
0.1パーセントでいい。私はこれで良い。
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