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疲れてるのかもしれないなぁ


わたし、【フォローする】の、ボタンじゃなくて。目の前にある瞳や、ホクロや、そばかす。笑い声や、眼差し、うなづき。そういった、人間の生々しさを見つけるたびに「安心」を感じるようになったんだ。だって、そこには人間が放つ温度があって、声があって、生きた空気があるからだよ。「安心」はこの時代に亡くなりつつあるからだよ。

そしてこの「安心」と同じくらい。めっきり減ってしまったのが「活気」だ。街にはもう昔のような「活気」がないように思う。それは私たち人間がいつだって俯き、画面をのぞいては暗い顔をしてきたからだし。人間同士が電波でしかやり取りをしなくなったせいで、触れ合いがなくなったからだ。世界が嫌になればミュートをして。音量ボタンを下げれば無音の世界?

活気もクソもないね。

このままいけばAI同様、私たち現代人はまるで、鼓動を持たない死体みたいに冷たくなっていくのだろう。それが「時代」だって言われたらそりゃあ、そうなんだけど。


時代に乗ることと同じくらい、
時代に逆らうことが、もしかしたら
必要なんじゃないかって私は思うんだ。


画面を閉じて、窓を開けてみる。
画面を閉じて、好きを探そう。
画面を閉じて、手紙を書いてみる。
画面を閉じて、歌ってみよう。
画面を閉じて、身体をほぐしてみる。
画面を閉じて、汗をかこう。
画面を閉じて、今日を振り返る。
画面を閉じて、眠ってみよう。



きっと、生きやすくなる。
こうして不便に憧れたとき、私は疲れてるのかもしれないなぁ。

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