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苦手なこと

---友達とのメールのやり取りが楽しかった中学生時代とは、わたしはすっかり変わってしまったのだろうか。

溜まっていくLINE通知の数字をぼんやりと眺めながら、ふとそんなふうに考える。

……わたしは、LINEが苦手だ。
LINEでのコミュニケーションが未だに上手くできない。
使い始めてから10年も経つのに、上手く使いこなせるようになるどころか、どんどん下手になってしまっている気がする。

苦手な理由ならもう自分で分かっている。
相手の顔が見えず、声色も表情も分からないうえ、返す返事一つ一つにすごく気をつかってしまうからだ。

誰かと直接会話するときでも、相手の表情や反応を窺いながら言葉を選ぶのがクセになっているわたしにとって、文字だけで会話するというのはそれだけでひどくストレスだ。

相手が何気なく、ほんの気まぐれで送ってきただけの短いメッセージにすら、わたしはうろたえ、相手がどんな返事を求めているのか正解を探そうとし、そうやっていちいち頭を悩ますことに疲れてしまう。

LINEをもらえるのはもちろん嬉しい。日常の中でわたしのことを思い出してくれて、わたしと会話したい、繋がりたいと思ってくれている人がいるということは、わたしの心をあたたかくしてくれる。

でも、何となく、今は返事をしたくない、と思ってしまうときはあって。
それは仕事で疲れているときだったり、落ち込む出来事があったときだったり、趣味に没頭しているときだったり……。

スキマ時間にパッとすぐ返してしまえば済むことのはずなのだけれど、わたしにとってはそんな簡単な話ではないのだ。

真面目に、丁寧に、ちゃんと向き合おうとしすぎてしまっているのかもしれない。
でもそう気付いたところで、すぐに気楽に構えることができるわけでもない。

……こういうとき、便利だけどなんだかやりにくいなあ、と思わずにはいられない。

LINE送ったのに見てくれてない、とか、
既読付いてるのに返事が来ない、とか、
わたしはそんなつもりじゃなかったのに勘違いされた、とか。

こんな些細なことで、人は簡単に仲違いをする。相手に不満を募らせる。
自分が気軽に送った文字で、相手がどんな気持ちになるかを考えもしないで。
あるいは、自分の退屈しのぎのために相手の時間を奪っているなんてことを想像もしないで。

直接顔を見て言葉にしないと伝わらないはずのことを、文字や絵文字一つ、ポンと相手の画面に送り込んだだけで「伝えた」と自己満足してしまうことがどんなに危険か。

どんどん世の中が便利になっていって、コミュニケーションの方法も多種多様に広がっていく。それ自体は本当に素晴らしいことだ。でも、こうやってわたしのように、顔や声という生身の媒体なしでやり取りをすることに苦手意識を感じてしまう人たちがいることは分かっていてもらいたい、とも思う。

苦手なものを「苦手」と言って、それを受け入れてもらえる世界であってほしい。

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