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全て正解(ヤマダさん・40代男性)

25歳で転職をした私がどのように決断し結果どうだったか、今思うことは何かを共有することで今悩んでいる皆さんの参考になればと思い、当時考えていたことを紹介したいと思います。

よく、塞翁が馬なんて言いますが、私のキャリアはまさにそれ。40代で副業をしてみようとRD LINKに登録した今になって、結局今までの経験はすべて無駄になってないなと気づくことになるのは面白い話です。自動車関係の生産技術という仕事に携わる私にとって、今になって思うのは、特に専門職においては副業などの手段を持っておくことは、本業においても選択肢の幅を広げる上に、自分の市場価値をちゃんと見ておくために必要だということ。

“今の会社専門”の人になってしまうのは、先のわからないこのご時世においてはなかなか怖いことですよね。特にこのコロナでいざというとき自分の身は自分で守る必要があると感じた人も多いのではないでしょうか。そんな危機感を感じているところに昨今の働きかたの多様化で自分の時間ができたことにより、副業を本格的に検討する環境ができたのは本当に面白い話です。

新卒3年目で転職

私が初めて就職したのはある教育系の会社の社内SE。ありがたいことにネットワークからプログラム、データベースまで一通りの経験をさせていただきました。ただ、当時のその会社はまだ伸び盛りということもあり労働環境があまりよろしくなく、給与面・労働環境面での不満は1年目からくすぶりだしていました。「3年はやってみよう」と思っていたのですが、やはり3年目で転職することに。

決定打は「たぶんこのまま状況に変化がないだろう」という絶望感でした。死に至る病などといいますが、一時のつらい状況やきつい環境は何とでもなるのですが、このまま改善がみられない、という状況はやはり当時絶望でしかなかったことを覚えています。

とはいえ、転職に踏み切るのも非常に勇気が必要だったのは事実で、実際に動き出すまで非常に時間がかかりました。しかしながら、縁あって今の会社で生産技術を担当することになり、この時の選択は良かったと今は思っています。

異動したいと思っていた生産技術職から多くを得た

生産技術という仕事、いろいろなイメージがあると思うのですが、正直なところ働く立場として考えたときにあまりイメージのいいものでないことが多いと思います。仕事が多い、仕事が大変、忙しい、基本的にほめてもらえる職場ではない、などなど。

正直なところ、数年前まではすぐにでもほかの部署に移りたいと思っていましたし、所属している人がみんなそう思っているのでそのリクエストに従うと部署に誰も残らなくなるから部署異動ができないといわれるほどでした。

ただ、今にして思うとここで得たものは多く、特に私の属している会社は担当の幅が広いようで、開発的なところから原価企画、生産企画から設計から実装まで幅広く体験することができました。海外赴任もしましたし、一年の半分くらい海外、という年が数年続いたこともありました。

そんな環境で今一番の武器になっているのは幅広い経験と何とかするという考え方です。特に、ゴールと納期ありきでそれ以外を組み立てていくことの多い仕事なので、もうお客さんが待っているところから始まり、話し合いでゴールの形を変えることはあれども人海戦術でも投資をかけてでも何とかするという柔軟な発想を得られたこと。「何とかなるし何とかする」という考え方は、現職の生産技術の仕事の中で得たものの中で一番大きかったように思います。

近年では前職での経験もあり、IOTとAIを絡めた仕事をすることもあり、そこでネットワーク系の知識やSE的な知識が必要になってきたのは面白い話です。機械学習用にPythonも一から始めましたが、ここでも前職の経験が役に立ち、始めるのに大きな抵抗がなかったのも大きいかもしれません。プログラム自体もさることながら、ある程度進めていくと、特にその当時はバージョン問題などもありPC設定等に詳しかったのは非常に役に立ちました。

コロナ禍で残業0へ。自分と向き合うきっかけになった

私にとっての2回目の大きな転機が訪れるのはつい最近、コロナウイルスの流行でした。多くの人がそうであったと思いますが、仕事のパターン、働き方、すべてが大きく変化する出来事でした。もちろん、私も例外でなく、いままで忙しかったのが急に残業0へ。もちろん投資環境も一気に悪くなり投資も難しい状態へ。いままでカネか、時間か、人かで何とか仕事を回していたのが、すべての武器をとりあげられた状態です。

ただ、仕事は正直なんとでもなるというか、なるようになると思っていたのですが、それ以上にプライベートに発生した時間。当時は空いた時間で副業してみよう、なんていう発想はなく、ただただどうなるかわからない情勢に恐れていた記憶しかありません。また、残業がなくなったことにより、仲間の多くが他業種に流れていく現状を目の当たりにし、非常に心が揺れたことを覚えています。ありがたいことに、生産技術の需要が多かったらしく、特に元気な業界へは望めば転職できる状態ではありました。

そこで考えたのは、今から転職するとして私にあるのは社内での実績と今の会社名くらい。「あなたは何をしてきたのですか?」と問われればおそらく説明は可能。しかも同業種なら好意的に受け取ってもらえることはしてきました。ただこれが他業種となった時、果たしていままでの経験が伝わるか?そう考え、今回は転職をした前回とは別の選択を行いました。

まずは自分の得意なこと、SQC(統計的品質管理)の理解を証明できるように品質管理検定1級を取得。そしてコロナ禍で時間のある間にデータサイエンス、機械学習、AIを再度一から勉強しました。データサイエンス等に関しては自分の知識レベルを定量的に説明できるものをなにか取得しようと画策中です。

そんな中、コロナに対する方向性がなんとなく見え始め、リモートワーク対応などの環境整備が整い明らかにコロナ前と環境が変わってきた感があります。

変化についていける自分に

振り返ってみると、コロナ禍前は会社という組織に属していれば安定、フリーランスは安定しないと思っていました。しかし、いざふたを開けてみるとそれは全く正しくなく、変化についていけないことや多様性がないことが一番危険だということが分かってきました。

そして、リモートワークも浸透し、無駄に移動していた時間が自分の時間として増えました。この働き方になったことにより、オンオフが厳密に管理されることになり、さらに自分の時間が増える結果となりました。

そこで今後のことを考えたとき、自分の多様性を増やすとともに収入に多様性を持たせたくなり、副業を検討するようになりました。そこで、今手持ちの経験を振り返ってみると、

  1. 工程設計から企画・配置・改善まで。全工程を見渡すとともに構成する道具と知識

  2. それぞれのKPIを統計、データサイエンス、機械学習という手段によって評価、改善する知識

  3. 生産技術として、手持ちのコマで「何とかする」という現場対応力

という自分の武器が見えてきて、いままで紆余曲折、自分のキャリアには一貫性がないと思っていましたが、ここに向けていままでやってきたのかもしれないな、と思い至るようになりました。

結果は同じだったかもしれないけれど、自分で決断して良かった

そういえば先日、最初に勤めていた会社の取締役と食事をする機会があり、「当時のような働き方ではもう人が定着しないから、今では信じられないほどホワイトな会社になってしまったよ。あれだけ情熱的に仕事をしていた当時がなつかしいね」と、当時を二人して懐かしんでいました。

当時、あれほど過酷な環境が嫌でやめた会社も今ではホワイト。結局どのような選択肢をとっていても同じような環境になっていたのかもしれません。ただ、今思うとあの時の転職した決断は間違えてはいなかったと思います。

もし全く同じ環境になっていたとしても、決断せずにいたら、もしかしたらこうなっていたのではないかと、決断しなかったこと自体を後悔することになっていたと思います。状況を変える、というのはとてもパワーのいることですが、後悔しないためにはやってみる、というのもよいのかもしれませんね。

上海の風景です

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