アクセルを踏むのではなく、ブレーキを外す。

鬱から回復して、1年以上が経過する中、未だに低気圧には体調がかなり影響されて、以前のように元気!という状態には程遠い。
その結果として、体調を最優先にした生き方をしているため、全体的にはゆるりとした生活を送っている。
生活コストを下げて、収入は少ない代わりに働く時間も減らすという戦略を取り、週に1度、夜勤で働いていれば、とりあえず生きていけるという状態も作ることが出来た。
それによって生まれた大量の時間を使って、また自分の新しい生き方を作っていきたいなと模索をしている。

しかし、そんなゆるい生活をしているからか、自分の中で「さあ頑張ろう」というスイッチが入りにくくなっている。
そもそもが、鬱の際には、自分自身に対して、「とにかく頑張らない」と言い聞かせ、無理せず出来ることを出来る範囲でやるようにしていた。だからこそ、ある程度元気になれた部分はある。
けれど、活動できるようになってきた今、エイヤッと新しい挑戦を始めていきたいと思っているのに、頑張り方を忘れてしまった感じがする。

動きたいのに、動けない。なんだかエネルギーが余ってモヤモヤしている感じ。鬱の前の自分はもっといろんなことをやろうとしていたはずなんだけど…
そんなことを少し前にTwitterで呟いてみた。
すると友人から次のような言葉をいただいた。

アクセルを踏もうとするのではなく、ブレーキを外す感覚でいるといいかもしれないよ。自重で動き出していくように。

これは自分の中でしっくりと来るものがあった。
確かに頑張ろう頑張ろうとアクセルを踏み続けていたような気がするけれど、そうではなく、ブレーキを外す感覚か…と。
しかし、そのブレーキを外す感覚って何なんだろう?言いたいことはわかる気がするけど、それって結局どうしたらいいんだろう?
そんなふうに思いながらこの数日過ごしていました。

結果、自分の中の答えとしては、
アクセルを踏むというのはエネルギーを生み出し、それを運動に変えていくこと。それは、何らかの目標を定めたり、自分の中でモチベーションを高めて、内側から動き出すための力を新たに生み出していくこと。どちらかというと、外に目を向けて、その方向に向かっていこうとする力。
一方のブレーキを外すというのは、自分にかかっている何らかの制限を外し、すでにあるエネルギーを開放していくこと。外側ではなく、自分の内側に目を向ける。新たに生み出すのではなく、すでにあるエネルギーが流れるように、せき止めているものを外すようにすること。

そうであるなら、何が自分のエネルギーをせき止めてしまっているのだろうと思った。色々なことが思い浮かぶ。
自分が鬱の間に感じたことをもっと言葉にして表現していきたいと思いながら、以前に比べてSNSの発信に抵抗を感じるようになったのは、今まで以上に他人からどう思われているのかということを気にしてしまうようになったから。
新しい一歩が踏み出しにくくなったのは、行動量を増やしていくとまた体調を崩してしまうんじゃないかという怖さがあるから。
会いたい人がいるのに、なかなか連絡を取りづらくなったのは、鬱によって一度繋がりが途切れたことで、また会うことが少し怖いから。

掘ればきっとまだまだ出てくるんだろう。
けれど、「アクセルを踏むのではなく、ブレーキを外す。」というのは、こうした自分の中に内在している他者の目や、恐れのようなものと向き合い、それを一つずつ解消していくということなのかなと思う。そうするうちに、自分の中で滞っていたエネルギーが流れ出し、またアクセルも踏めるようになるのではないかなと思っている。

そんな一つのきっかけになれば良いなと思い、このnoteを書いてみました。


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西村 征輝(にっしー)
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