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学校では教えられないこころの回復リハビリのコツ

Rこころの研究室では、日々、
皆さんの自分研究を応援しています。

Rここnoteでは、
みなさまの体験をシェアさせてもらっていますが、
もちろん個人のプライバシーではなくて、
みなさんのお話しを題材に、
僕の気持ちや考え方をシェアしています。

ノンフィクションですが、
ボク個人の世界線の中にある、
僕の創作物語と思ってご安心くださいね。

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さて、久しぶりに、そんな僕のこころの中の
診察室の風景を覗いてみましょう。

この前来られた方は、
療養生活もだいぶ慣れてきて、
家事や運動など、前向きに
リハビリに取り組まれるようになっている、
回復段階の人です。

・・・・・

調子どうですか、

 いや、あんまり良くないですね~。
 何もしなかったですよ。

何もしなかった?
じゃあ、息もしなかったんですね?

 いや、(笑)

 …うーん、
 ウォーキングもサボってたし、
 だらだらしてましたね。

だらだらとは、どんなことですか?
ちょっと、イメージができなくて。

例えば、身体は横向きですか? 縦向きのことですか?
それとも動いてるんですか?

 あ~、、えーっと、、朝はちゃんと起きてましたよ。
 テレビ見たり、音楽をダラダラ聞いてしまって、
 気がつくと、あぁ、結局今日も一日、何もできなかったな、と。

ああ、テレビや音楽の時間を持っているということでしたか。
ん? それ、もしかしたら、
こころに栄養を与えてあげているんじゃないですか。

 あぁ、まぁ、そうですね。
 そう、元々けっこう音楽は、好きだったんですよ。
 最近ちょっといいイヤホンとか、買ってみてね…

それ、いいですね!

 実は学生のころ、音楽をやっていて、
 おとなになって、楽器も復活したのですが、
 ここ数年、触らなくなっていて。

えぇっ!
そんなお話し、初めて聞きましたね。

なーんだ、ちゃんと回復のために、
しっかりこころへの栄養補給、
がんばってられるんじゃないですかぁ。

 そう言われたら、そうですね~
 フツーは、何かしなきゃダメと言われるから。

それ!

・・・・・

ほんと、それですよ。
それそれ!

5分程度の短い対話ですが、
たくさんの、回復のエッセンスが詰まっています。

回復には、いろんなステージがあって、
それぞれポイントが違います。

社会から一旦離れるリトリート段階、

焦燥感や自己否定を、落ち着ける段階、

服薬習慣、運動や起床リズムで、
セロトニン調整によい習慣を続ける段階、

この方は、この辺ですね、
順調に回復が進んでおり、
医学的、神経生理学的な意味では、
ほぼ寛解に近づいている。

でも、本当の意味でのこころの回復は、
また別の次元の段階にあります。

社会や世間にまみれる前の、
ほんとうの自分らしさの復活、

いわゆるリカバリーの段階、

その瞬間に立ち会わせてもらった
という感じでしたね。

「何もしていない」
という言葉の中に、

親や学校で教えられた、
だらだらはダメ、
やりたいことは我慢して、
やるべきことを頑張らなきゃ、

時間を有効に使いなさい、
効率的に、ちゃんと計画して、
さぼってちゃダメ、
このままでいいと思ってるの?

みたいな、染み付いた怖れの姿勢と、
成果を成さないことの罪悪感がつまっているのです。


しかし、こころの回復プロセスは、
これとは真逆なんですね。

真逆、と言うか、
その教育的価値観が裏目に出て、

伸びようとするこころの芽が
ぎゅううっと、押しつぶされてしまったのが、
こころの病のもとですね。

真面目で誠実で順々で優しくて、、、
そんな、めっちゃいい子が、
うつになりやすい。
めちゃくちゃがんばって自分を抑えてしまうから。

こんな子にとって、
大人の恐れからくる教育は、
逃れられないもので、
あまりに怖すぎたんです。


それなのに、それなのに、
養生生活で、またしても、
学校教育みたいな頑張り方が習性になってるから、
これがこころの回復に時間のかかるところ。


こころの回復のしかたは、
あんまり学校では教えてくれない。
抑圧された大人たちの社会に適応しなきゃだから。

ここでは教えてしまいましょう。

こころの回復とは、
誰もが本来、ちっちゃな頃に持っていた
自分だけの自分感、
だけど世の中の歪みに叩かれて、しおれてしまった、
その自分感覚に、
もう一度、水と光と栄養を与えて、
にょきにょきと蘇らせることです。

それが、こころの療養期間中に、
こころの回復リハビリを、
ガンバルということです。

具体的には、
ヤダヤダ感、好き嫌い、
ウキウキ感、やってみたい感、
マイペース、、、
そんな自分の感覚に気がついてあげること。

例えば、、、
サーティーワンアイスクリームだったら、
僕は、ラムレーズンが一番好きです。

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もともとラムレーズンはあまり好きじゃなかった。
でも一度、患者さんがサーティーワンアイスクリームの
ラムレーズン味を差し入れしてくれて、
なんだこれは~~っ!! と覚醒したのです。

それ以来僕の頭の中はラムレーズンです。
味わう時は、誰も寄せ付けず、
一人だけで味わいたいのです。

うぉー・・  !
おいしーーー・・・・!

目を閉じて、呼吸を整え、
姿勢を正し、一口、また一口、、
口の中いっぱいに広がるアイスの甘さに全集中、
100%ラムレーズンと一体になるのです。
まさにその時、

ワタシはいない、
ラムレーズンがあるだけ。。

そんな悟りの境地が訪れるのです。

え?
サーティーワンで女子中学生の中でおじさんが、
一人でニマニマしてる絵が浮かんで怖い?

そう、こころの回復とは、
そうゆうことです(笑)
ちょっと、世間体は悪いのです。


何の役にも立たない、
無駄、無意味、
何も生み出さない、
べつに、誰も見てくれないし、
誰も喜ばせられない、

でも、誰がなんと言おうと、
自分は、これがいい。、ような気がする。
そのかすかに残っている感覚。

世間の風当たりで、かき消されて、
ゆらゆら消えかかったろうそくの炎を、
そっと囲って、大きくしてあげるみたいに。

新芽に毎日せっせと栄養を与えるみたいに。
ちっちゃな自分を育てるみたいに。

その子の好き嫌いをよく聞いてあげて、
たくさん喜ばせて元気にしてあげるのが、
こころの回復の法則なのです。

一旦、学校や会社や家庭への復帰のことは、
割り切って、全部脇に置いておいて、

世間から少し離れた、安全な場所で、
安全な時間を確保して、
その子を満足させてあげましょう。

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現実逃避では? と自我は抵抗するでしょう。
でも、実は、不思議なパラドックスですが、
そのほうが結果的に、社会へのリカバリーも早いものです。

ただし、それは最初にあなたが思い描いた、
世間体のいい社会復帰ではないかもしれません。

社会から求められた回復ではなく、それ以上の、
本来の自分らしい着地点への復活になるはずです。

このようなこころの回復は、
こころの痛手を負った人にしか体験できない、
人生の豊かさや気づきになるのではないでしょうか。

その意味では、働きずくめのわたしたちや、
家庭の役割をこなせてしまう大人のほうが、
よっぽどこころ病んでいると思うのです。


だらだらと長文となってしまいましたが、
今日はだらだらOK、ということで(笑)

こんな長い文を読んでくださって、
ありがとうございます。

でわ、だらだらな日曜日を~。







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