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診察室で肌に感じる二極化時代のムード

今週は、2020年9月が始まりましたね。

最近よく聞く、二極化の時代、
って、ことば。

なんとなくわかるような気もするけど、
なんとなく、よくわからない。

240年ぶりに時代が変わる?
星巡り的にも、土の時代から風の時代へ?
2000年ぶりの、人類社会の構造の大変革期?

アセンションとかみたいな、
スピリチュアル業界用語なのだろうか。
ビジネス業界の風潮なのだろうか。

そのへんは、僕にはわかりませんが、

診察室から眺めた、個人的な空気感で、
これ、二極化時代の流れって、こんな感じのことかな、
と、思い当たることがあります。

それは、診察室に訪れる人の、
2つのタイプのギャップが大きくなっていて、
応援する時に、戸惑ってしまう感覚です。

一つは、従来型の、社会不適応から、
健康への変調を主訴として、診察室に訪れて、
なんとしても世間さまについて行くには、
どうしたらいいか、という軸で追求する極。

もう一方の極は、世間への不適応から、
健康への影響をきたして診察室に訪れるのは同じですが、
そこから、世の中って、かなりおかしくない?
周りに合わせてしまう自分って、なんとかしたい、
と、潜在的に自分の本当の生き方を追求する極。

自分の生き方へのアプローチの指向性から、

前者を、社会適応志向アプローチ、
後者を、自分適応志向アプローチ、
と、仮にネーミングしよう。

社会適応志向アプローチの人は、
学校や職場で、みんなについて行けない、
劣等感、自分はダメだ、
あれもない、これもできないし、人並みにならなくちゃ、
周りの人や、家族の迷惑をかけない最低限の人間になりたい、
働いて何か役に立ってないと、生きてる価値がない、

学校や仕事の中で、努力して、
なんとか役割をこなせるよう一生懸命で、
役割をこなせる充実感を見つけたら幸せ。

自分適応志向アプローチの人は、
自分の現在地での幸せを見出していく。
たとえ貧困でも、社会支援を受けて、世話になっても、
その恩恵を、罪悪感を持たずに受け取って。

世間や周囲から、ずるい、ひどい、何も考えてない、と、
叱られても、罪悪感を手放して、
自分に生まれた価値を受け入れて適応し、
感情に素直に、目の前の平和を見つけたら幸せ。

以前から、その2つの傾向はあったと思うけど、
この極端に方向性の異なる2群が、
より、はっきりクッキリと分かれてきている感触がある。

どちらが、良い悪いではないハズ、と思うのですが、
僕は、社会適応志向の方の苦悶に、
反応してしまいやすい自分に、気がつくのです。

明らかに身体や神経が脆弱なのに、
必死で、マジョリティと同じことをすることに、
人生の全てをついやして、涙ぐましい頑張り方をしている人。

医者としての立場で、ドクターストップ!と、
タオルを投げかけても、絶対に受け取らない。

自分で破綻を体験するまで、
それどころか、破綻を体験しても、なお、
また、同じ頑張り方を繰り返す姿に、

はぁ~~~、、。
とめげそうになる。

仮に一時的に何かを達成しても、一緒に喜んびたいけど、
なんか、とても素直に喜べない。

その人に応援してあげられることは、なんだろう、
という無力感を感じてしまうのです。

・・・・

さてちなみに、僕は、
こんな風に自分の感情や世界を体験した時は、
この素材を使って自分研究を楽しんでいます。

頑張っている人が現れる。

まだ、頑張るか。。
痛々しい。。。

なんで、こんなにも痛いのか。

いつものように、自分に問いかけてみました。

すると、それは、やっぱり自分だと気がつくのです。

僕自身、めちゃくちゃ、頑張ってきた。
いまも、頑張っている自分がいる。

なんせ、そっちは、行き止まりと言われても、
誰に何と言われても、聞く耳持たず、
その先を進んで、実際に自分の目で確かめないと気が済まない、
痛々しい頑固者の自分がいるのです。

なーんだ、おんなじだなぁwww
自分の今に必要な体験を、
その人も体験しているよなぁ。
それで順調ということか。

そう思うと、また一つ、
ジャッジする自分が解放されて、
フッと、肩の力が抜けていくことに、
気がつくのでした (^^)





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