なるべく小さな幸せ探しをしよう
診察室の中で、
僕がよく使っているな、
と思う定番フレーズに、
「何かいいこと、あったんですか?」
「それでも、よかったことはなんですか?」
というのがある。
辛くて改善したい病気の症状を問診して、
治療する場が診察室なのだから、
思えば不思議な質問ですね(笑)
でも、もちろん、精神療法として、
場の回復のために僕の無意識さんが、
治療的意図を持って働いてくれているのだと思います。
うつからの回復に、今日一日、良かったことを3つ思い出して、メモする習慣を作る、というワークがある。
最初の出どころはどこかは、正確なところはわからないけど、
ポジティブ心理学のマーティン・セリグマンの研究で、抑うつ尺度を下げ、幸福度を上げる、というのがエビデンスとして出ている。
集団認知行動療法のプログラムに参加させてもらっていたことがあるのですが、「小さな幸せ探し」というワークで、グループ発表してもらうと、ずーんと落ちている場の空気が、ほっこり笑いに包まれることを覚えています。
トラウマ治療でも、トラウマにフォーカスして脱感作処理を行うというのが、まぁ外科で言えば手術みたいな、病巣に迫るアプローチなのですが、トラウマではない部分、トラウマがあってもなお生存してきた健康な力に目を向けるのが、トラウマ処理以上に大事になってきます。
例えば、PTSDで通院されている人で、こんな人もいます。
診察室の短い時間でできる、チャンスEMDRやTFTやボティーコネクトセラピーとかの、短期トラウマ処理をしても、なかなかうまく行かなくて。しかし最近、トラウマの裏にある力(リソース)を膨らますと、今とてもいい感じに進んでいる感触があります。
病巣や弱みを修復する、苦手を克服する、という考えと、
健全な部分、強み、得意を伸ばす、という考えと、
あるわけですね。
医療でいうと、
前者が、西洋医学的、攻撃的発想、
後者が、東洋医学的、自然療法的発想と、
重なってくるように思います。
で、話しを診察室に戻すと、
だいたい、患者さんは、良かったことをたずねても、出てこない。
まぁ、まさか診察室でそんなこと聞かれてて、びっくりされてるのもあるのかな?(笑)
「いやぁ・・いいこと?、ぜんぜんないですねぇ。。。」
それでも、しつこく聴きます(笑)
すると、たいてい、ものすごく大きなイベントを話されて、
今度はこっちがびっくりする(笑)
「いやぁ、実は、旅行に行ってました」
とか(笑)
しかも、なぜかしぶしぶ、言う(笑)
いいこと、言ってはいけないことかのように。
病気休暇中に、ひと目をはばかって、楽しいことはしてはいけない、
と思って、なかなかうつから回復する機会を逃している患者さんも、同じ心理だろうか。
しんどい思いをしないと、怒られる、許されない、という感覚は、
「自分と同じ苦労をさせよう」という大人の悪癖なのだろう。
いくら診察室とは言え、
病気の話、しんどい話ばかりしてたら、
よけい病気になりますよ~~
って言ったら、患者さん、笑ってたわ(笑)
ちなみに、診察室で問いかけている、いいこと、とは、
小さな小さな、1ミリくらいのことを言っています。
電車に間に合ったとか、朝ごはん久しぶりに食べたとか。
顔洗えたとか、ゴミ出しできたとか。
ぜひ、好きなこと、楽しいこと、良かったこと、できたこと、ホッとしたこと、に、視点を移す、リソースの神経回路を太くするというアプローチにも、着目したいものです。
そういえば、セリグマンって、今でこそ、ポジティブ心理学の権威、となっているけれど、
もともと心理臨床の世界では、1960年代には「学習性無力」の発見で、臨床心理士試験にも頻出の、歴史に名を残す人物だった。
「学習性無力」の研究って、電気ショックから逃げられない強制収容所環境を作って、動物実験でうつ病状態を起こして、うつの原因を証明したという、超ネガティブ心理学な研究(笑)
同一人物なんですよね。
陰極まって陽となる。
セリグマンも、研究円熟の末、ポジティブな側面へのアプローチへシフトしていったのかもなぁ、と勝手に想像しているのでした。
ということで、この幸せ習慣、
おすすめですよ。
苦手なことや、どうにもならない時、
行き詰まった時こそ、逆転発想です。
なるべく小さな幸せを、
なるべくいっぱい集めよう♫
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