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それ、感謝にも恨みにも、使うことができるかも

今日は自分のことで、
シェアします。

この前、というか、
自分にとっては、
毎度よくあることなんですが、

親が、家の工事を頼んでいる業者から、
工事の後になって、当初の見積もりから、
かなり高い請求書を出されて、

騙されたわ!

とか、愚痴っているのを聞かされたのです。

そんなことないでしょう〜、
業者さんにもう一回、
ちゃんと説明してもらったらいいんじゃないの、
とか、言い合っていると、

じゃあ同席してよ、

という成り行きになったのです。

しまった、
また、巻き込まれた。。トホホ。

・・・

「騙された!」

これ、
うちの親の、口癖みたいなもので。

騙されたわ!

騙されなや!

それ、騙されてるんじゃないの!?

子供の頃から、
いっつも、浴びせられてきた言葉なんです。

何か新しいことにチャレンジしようとすると、
そうやって水を差す。

それが、とても嫌でした。

ほんと、この親は、いったい、
子どもに人間不信とうものを、
植え付けたいのだろうか?

騙されて痛い目に合わないように、
守ってくれようとしている愛情なのは、
わからないでもないけれど、

ボクは、安心や信頼で人を見たいんだ〜、
と、子どもながらに思ってきました。
(いい子やな〜)
プチ恨みで、反面教師にしていたわけです。

・・・

で、この前は、そんなこんなで、
業者さんとの打ち合わせをセッティングして
同席することになったのです。

業者さんは、たくさん資料を用意して、
根気強く、一生懸命説明してくれました。

確かに当初の見積書より、
かなり高い請求額にはなっていたのですが、

それは、元々予定された別途費用や、
追加工事による差額費用で、
ちゃんと予め文書で説明もなされているし、

とても誠実に良心的に、
してくださっていることが、
改めて、みんなで分かち合えたのです。

最初は、お互い気まずいような、
疑いのような、変な重い空気感で、
しんどいな、、と思いましたが、

よい工事をしてもらったと、親も喜び、
業者さんも安心して納得、
お互いスッキリして、気持ちよく、
お支払いさせていただくことに、なったのでした。

あー、よかった。
業者さんに、感謝。

文句ばっかり秘かにこころ内に溜め込んで、
ちゃんと確かめることもせず、
不安と恐れで、人間不信になってること、

逆に、疑うのはよくないぞとするあまり、
よく確かめることもなく、
もやもやした気持ちを秘めて、
溜め込んだりしていることって、

不信も過信も、表裏、同じようなもんだなぁ、
と思ったのです。

コミュニケーションを取ることをめんどくさがって、
サボって、逃げて、怖がって。

その代償として、不信感と猜疑心で怯えて暮らす、
小さな世界にこもるような経験をしてきた。

そんな暗くて狭いとこで、
窮屈に暮らすのは、
もういやだ〜。

ちゃんと、話し合おう。
その結果、和解することも、分断することも、
あるかもしれないけど。

恐れや不信からの誤解の霧が晴れて、
分断から、分かち合いにシフトする時の、
広がりや喜びって、
とてもすごい。
これは奇跡に近い。

人間不信でもなく、
人間過信でもなく、
それ以外の解は、

人間不完全なままで、
分かち合えること。

そんなことを思わせてくれたのは、
僕の気づきや考えではなく、

そのように体験されるように、
舞台セッティングされていた、
子どもの頃からの物語上の、
自然な流れなのかもしれない。

分断があって、
統合を体験できるように、
この世界はなっている。

そう思うと、
愚痴っぽくて人間不信という嫌な役回りを
引き受けてくれている親さんに、
ちょっとだけ、感謝したくもなったのでした〜。


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