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ゆるエッセイ#オムライスの思い出

どうしても忘れられない思い出はありますか。
嬉しかった。楽しかった。悲しかった。悔しかった。等、自分の中でいつまでも心の隅に残ってる思い出は、ありますか。

私はオムライスを食べる時に、胸がキュッとなって、悪かったな。と後悔の念がじわりと沁み出してくるのです。

それは私がまだ幼い頃、幼稚園とかでしょうか。
母の作るオムライスが大好きで、
「今日はオムライスにしよっか」の言葉でルンルンしていました。
我が家の定番は、シンプルに卵でケチャップライスをくるり、と包んだオムライス。
しかしある日、テレビか何かでふわふわトロトロのオムライスを見て、私のオムライスに対する夢が広がったのです。
そして母に、「こんな卵のオムライスが食べたい!」とおねだりしたのです。

しかし、テレビとかで見るあの卵は、卵を3つくらい使い、バターもたっぷり、さらには生クリームも混ぜたりしており、母はそんなにコテコテした卵をまだ私に食べさせたくなかったのでしょう、材料を普段と同じものでトライしました。
しかしご察しのように、あのふわふわトロトロ卵は難易度が高く、破れて穴が空いてしまったり、思ったより卵に火が通ってトロトロじゃなくなったりと、テレビのようにはいきませんでした。
ワクワクして待っていた私は、目の前に置かれたオムライスが自分の夢見た姿と異なり、
「こんなんじゃない…。」そんなひどい一言をぽつりと言い放ち、スプーンで卵をめくり、パタンと折りたたんでしまったのです。
そのリアクションに母は悲しみと怒りを混ぜ、「なんでそんなこと言うの。もうオムライスつくらないからね。」
そう言って、食卓から離れていってしまいました。
それでも幼かった私は素直になれず、不機嫌なままケチャップライスと卵を分けて交互に食べたことを覚えています。

私は今でもこのワンシーンが忘れられません。当時も、幼いながらに「ママを悲しませてしまった。」という後悔の気持ちを強く感じたのでしょう。
オムライスを食べるたび、あの時母を傷つけたことが頭の隅に浮かびます。
大人になり、母といろいろな話をするようになった頃、
「私どうしても忘れられないことがあって。」と、この思い出を話しました。
あの時はごめんね。そう言うと母は、
「あら、そんなことあった?全く覚えてないわ。」と笑っていました。
母の優しさなのか、本当に忘れていたのかは分かりませんが、ふっと心が軽くなりました。
今まで持っていた罪悪感がなくなり、
母と懐かしい話をするたびに、苦い思い出も
愛しい思い出の一つになっていきました。

当時はとても大きな出来事と感情だったものが、時を経て愛しい記憶へと変化する。
これが大人になるってことか。そう実感するとともに、親を大切にしようと心から思いました。

こういった感情を積み重ねていき、近しい人、大切にしてくれる人たちとの関係を愛しく思うようになるのではないでしょうか。大事に、丁寧に深め、育んでいきたいな。そう思っている次第です。

あなたの人生に愛しい瞬間が積み重なりますように。

#ゆるエッセイ #エッセイ#日常#ありふれた幸せ#思い出

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