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「タクシー運転手 約束は海を越えて」に身震い

録画しておいた映画「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」を観ました。全く前知識なく、監督の名前だけで観たのですが、冒頭で光州事件を描いた映画とわかり、身震いする思いがしました。

RCがまだ10代最後の頃だったと思いますが、白竜さんのライブを聴いて、「光州シティ」という曲を知りました。白竜さんが事件のことも話してくれたので、おぼろげながらにその出来事の重大さを感じていたのでした。

その後、光州事件のことはほとんど忘れていましたが、中国であの天安門事件があって、こうしたことは所を変えて繰り返し起こるのもなのだなと、感じていました。

我が国では、あの安田講堂陥落も、これほどまでの惨状にはならずに終結したようですから、シリアスさは比べものにならないですね。

でも思うのです。日本はこういう時に警察が出動します。あの灰色のバスに乗った機動隊ですね。韓国と中国では軍が出動しました。これは大きな違いです。

自衛隊を国防軍にしよう、という議論がありました。あの時思ったのは、国防軍が守る「国」とは何かということでした。国民が暮らす土地、生活、富を守るというのが本来あるべき国防軍です。しかし、この議論に隠れていたのは、国家つまり政権を守る軍という気がしてなりませんでした。

国家を守るために軍が国民に銃を向ける。「そんなことあるわけない」と、論者や政治家は言うでしょう。でも、あるはずないことが起こるのが歴史です。議論に慣れていない国民は、きちんと考えなければならない時に、いつも権力者に騙されてしまうのです。

この議論はこれからも続くでしょう。私たちは、隠された意図に注意深く、これに参加し、意思表示しなければならないでしょう。

韓国では、光州事件勃発の5月18日を特別の日として、式典も行われているようです。中国では、天安門事件の6月4日について、語ることもできません。俳句がもし中国の文化だったら、6月4日は、天安門事件の日として、密かに季語になるでしょう。それはもちろん危険なことですから、大っぴらにできることではありません。それなら、日本人としてそれをしてもいいかもしれません。

今、香港が揺れています。アメリカのBlack Lives Matterは世界的な動きになっています。このような時、平和裡に対話による解決に向かうのが理想ですが、不幸にも事件となってしまった時に、絶対に忘れてはならない、後世に伝えなければならない、ということが求められるのでしょう。

季語というものの役割に、このこともあるのだと思います。

明日も素敵な、そして大切な季語との出会いがありますように。

RC




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