句集刊行プロジェクト5 帯ってどうでしょう?

さて、原稿についてある程度順調に事が進んでくると、今度は句集の造りにいろいろ思いを巡らせます。

多くの句集は、四六判の大きさで、上製ハードカバーか並製ソフトカバーのどちらか、あるいはちょっと特殊な造本のものもありますが、帯がついているものが多いと思います。

この帯というのが、必要なものかどうか、考えあぐねています。

だいたいこの帯に書かれている内容は、自選10句、それから、序文やあとがきから句集をアピールする文を数行、といった感じで、これがあると何となくちゃんとした本に見えるんですね。

ただ、この自選10句がくせ者です。帯に載せるということは、読者がパッと眺めて、興味を持って、手に取る、というのが目的だと思うのですが、そのような10句を自選できるかどうかが自信ありません。

読者に固定した読み方の情報を与えたくない、と言い訳できないこともないですが、実際そんなカッコいいものじゃありません。力量の問題です。

それから、自分の句集にキャッチコピーらしきものがつけられるなど、何とも小恥ずかしい限り。

俳句を始めて何年かたった頃に、ささやかな俳句大会で佳作程度に入る幸運に恵まれたのですが、選者の方に、清新な叙情と評していただいたことを思い出します。自分の句をそのように読んでいただいて、大変ありがたいことでした。

でも例えば自分の句集にそんなふうに付けたら、人に直接差し上げるなんて時に、どんな顔してお渡しすればいいんでしょうね。困ってしまいます。これからは清新な叙情の顔をして歩かなければならないんでしょうか。

これ、出版社の立場としてはどう考えるのでしょうね。打ち合わせの時に聞いてみたい気がします。費用がかかることなので、無理に勧めては来ないでしょうけど。

帯って、どんなものでしょう。あった方がいいんでしょうか。

考えはぐるぐる回りますが、まずは明日も素敵な季語との出会いがありますように。

RC


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