学歴社会に露悪的な人ほど努力しない人(自戒を込めて)

お疲れ様です.
10月も2週目にして1週間通して秋口らしい気候になってきたふりをして,冬のような気候になってきました.
しかも,外よりオフィスの方が暖かく感じるようになってきてしまいました.
季節の変わり目で体調を崩さないように気を付けていきましょう.
それでは今回もよろしくお願いいたします.


今回は,つい先ほど考えていたことがあります.
表題の件そのままなのですが,学歴社会というシステムに対して露骨に嫌悪感だったりネガティブな反応を示す人が散見されます.
それも実社会でというわけではなくSNSみたいなバーチャルの中で多く見る気がします.
そして先ほど,学歴社会に露悪的な人は努力しない人もしくはしたくない人なのではないかという考えに至ったので,それについて頭の中をまとめる意味も兼ねて書いていきます.

ここ数か月ほど東大卒もしくは現役生と話す機会に恵まれているのですが,彼らと話していると学歴なんて関係なしで日常だったり就活だったりが進んでいます.
そして彼らは私たちが努力と感じるものを努力のカテゴリに分類せずに行っているように感じます.
その対比を考えたとき,いわゆる高学歴に分類される彼らにとって学歴社会気にする類のものではなく,逆に私のようなFランラインに乗るか乗らないかの大学やFラン大学に通っている人ほど学歴社会に敏感のような気がしてきます.

こうした学歴の上下で反応が分かれるのには,受験の際に努力したかどうかが関わっているように思います.
もちろん,大学受験で死ぬほど努力してFランにカテゴライズされる大学に合格した人がいることも承知しています.
逆にそういった人は,学歴社会に批判的になることはあっても,露悪的になるほど敏感には反応しないと思います.
反応しないことはないと思いますが,ただ諦めからくるものではなく,自分の努力を認めた上でのポジティブなものな気がします.
それに対して,私のような何となく大学受験をこなし何となく大学に進学した勢が敏感に反応する傾向にあるように感じています.

精一杯頑張って大学受験をして,結果として俗にFランと呼ばれている大学にしか進学できなかった人は,裏側に努力があるためFランだとしても好成績を修め有名企業に就職したりと学歴社会や学歴フィルターを打ち破っていきます.
努力せず大学に進学してしまった人は,努力という背骨がないことを隠すための隠れ蓑として学歴社会を選び,努力の欠如を自覚しているのかしていないのかは分かりませんが,少なくとも声高に批判できないことは感覚として理解しているが故にSNSで叫んでいるように思います.

ただやはり,学歴社会や学歴フィルターというものは不要かと言われるとそうじゃないことは確かなように感じます.
もし私が企業の人事部の新卒担当で,よく知らない学生を書面あるいは面接で判断しなければならないとしたら,やはり最初は学歴である程度検討を付けます.
もちろん,大学名から想定されるレンジから良い方や悪い方に外れる学生もいると思いますが,そういった学生は例外として処理すべきであり,学歴社会がダメだと断ずる理由にならないでしょう.

すこしとっ散らかってしまったと思いますが,何が言いたいかというと,学歴社会に露悪的な人は,自分が努力してこなかったことを正当化しようとしているということです.
大学受験で努力しなかった,大学生活でアピールポイントにできるような実績を積む努力をしてこなかった,その他あらゆる努力をしてこなかった現状の逃避として学歴社会が扱われていると感じます.
ただ,社会には明らかに悪質な学歴フィルターが存在することも事実です.
そういった悪質なものは批判されてしかるべきだと思いますが,システムとしての学歴社会は安易に批判されるべきではないと思います.


冒頭でも書いた通り,頭の中をまとめつつ書いてきたので読みにくかったかと思います.
おそらく途中で脱落されてブラウザバックされた方もいると思います.
逆にここまで読んでくださった方には大変感謝しております.
もしここまで読まれている方がいて,意見等ある方がいらっしゃいましたら,ぜひコメントに残していただけると嬉しいです.

それでは今回はこのへんで終わりにしようと思います.
それではまた.

僕の生活の一部になります。