5月21日(土)らいざの体育主任ヒストリー三部作〜破〜#99
みなさん、(おはようございます。)(こんにちは。)(こんばんは。)
お待たせしました!!
(え?待ってない?笑 まぁまぁそんなこと言わずにさー)
えー、本日は、第一作目を500人近い人に読んで頂けて、好評?だったらいざの体育主任ヒストリー三部作の二作目を今日は書いていこうと思います。
二作目は、体育主任の3〜4年目、そして異動後の5〜8年目あたりのことを中心に書いていくつもりです。
テーマは
『体育主任としての成長』
です。
前回の一作目では、体育主任の一年目の地獄の日々をみなさんに楽しんでいただけたと思います。(記事はこちら↓)
上の記事にあるように、地獄の体育主任一年目を満身創痍になりながらも、なんとか乗り越えたらいざですが、まぁ二年目も同じようにそこそこの地獄を味わいます。
見通しは、昨年度よりは持てますが、業務量は減りませんし、まだまだ教員経験年数も3年目なので、上からの要望がこれでもかとたくさん降ってきます。
転機は、体育主任三年目です。
その当時、常に思うことはこれでした。
長時間労働してんのに、今年も提案するたびに色々言われんのやだなー。
そこで、らいざは考えます。
これ、提案の事前にお伺いを立てれば会議で色々言われないんじゃない?
とね。
とりあえず体育行事などの提案に会議の中で、色々と要望を言ってくる人の目星はついてます。
その人たちに会議前に、こちらの意向を伝えて、可能な限りで調整できるところは調整しちゃえばいい!
そうです!根回しです!!
ここからが、らいざの快進撃は始まります。
なんと!!会議での提案がスムーズに進むようになったのです。
そりゃそうですよね、もう出来レースみたいなもんですからね笑
さらに、調子に乗るらいざはテクニカルさも身につけます!
Aパターンを通したい時は、事前に、明らかに選ばないであろうBパターンや、Aパターンより少し劣るCパターンを用意しておいて、そこから選んでもらうことで事前にAパターンに誘導する作戦までを思いつきます。
これらBとCのパターンをチラつかせて選んでもらうと、ほぼAパターンが確実になりますし、最終的に選んだのは、その人自身なので文句が出るわけがないんですよ!
こんな狡猾な作戦を確信犯的に実行するほどノリに乗ってましたね。
あ、もちろん普段からの関係性は良くしてましたよ。それが土台にないと絶対にムリなので。
(あ、性格悪そうに思われるかもしれませんが生き抜くための戦略なんです)
そうして、らいざは、そもそもの業務量は減らせずとも、
会議での紛糾を防ぎ、提案を理不尽に責められるストレスや、新たな要望を入れるという提案のやり直しのストレスから逃れることに成功するのです!!
これが自分に与える効果はデカかった!
若手ながらも体育行事をスムーズに提案できるというポジションを手に入れます。
そして、生まれた余裕を当日までのマネジメントや調整力、当日のリーダーシップに回すこともできるようになり、体育主任というポジションでグングンと力を伸ばしていきます!
(ただ忙しいのは変わらずなので、授業力は伸びず)
ひとつ怖い話をすると、この時は気づいてなかったんですよね。一緒に鼻も伸びて、勘違いの天狗👺野郎になっていっていることにもね。
さて、採用後の5年間も終わり、新たな学校へと異動することになります。
さて、異動あるあると思うんですが、こういうことありません?
え?この学校、こんなことも整ってないの?
みたいに異動先で思っちゃうこと。
前の学校では〜だったのに!
とかね。
今考えるとホントによくないんですが、初の異動のために、そして天狗👺になっているらいざは、気づかずにこんな感じになってしまいます。
(結局、体育とは別の部分ですが、この天狗野郎らいざは大きな失敗をします。ま、この話はまた別の機会に)
話を戻しますね。ま、いろいろと新しい学校のネガティブなところが目につくんですが、体育関係では、その異動メガネを差し引いても、よくないなと思うことがあったんです。
それが運動会の前日準備のこと。(異動一年目は、体育主任ではなくて、体育副主任と生徒指導主任でした)
会議での提案も準備作業のことがアバウトだなーと思ってたんですが、実際にその日になってみてビックリしたのが、役割分担が明確でなくて作業が全然進まないんです。
(人はたくさんいるのに、、、)
多くの人が何をしていいか分からないで、そこにいるだけ状態。
元々の計画によると、17時少し前くらいから前日準備の確認のための職員打ち合わせだったはずなのですが、作業が滞りまくり、その打ち合わせが始まった時間が、
18時半過ぎ。
むむむ、
これはマズいよね。。。
となって、翌年での改革を決意!!
翌年は、予想通りに体育主任に戻ったので、
体育行事の準備作業や運営における、『誰が何をして、終わったら次はこれをやる』のような明確な分担を記した提案資料の作成。そして当日は、自らリーダーシップをとり、状況に応じて調整や指示に全力を注ぎます。
体育主任になったその年は、前年度の18時半から1時間縮めて17時半。
さらに次の年は17時。
そして16時40分と年数を追うごとに打ち合わせスタート時間を早めることができました。
最後には、
勤務時間内に打ち合わせをやっても、時間があまるくらいの短縮に成功することができたのです!
脱線しますが、この辺りの時期は、体育部の歳の近い後輩メンバーたちとよく飲みに行ったり、長期休みには毎回旅行に行ったりしてましたねー。
今じゃ考えられないくらいのことだけど、めちゃくちゃ楽しかったですし、彼らがこの体育行事の運営や作業に協力してくれたことで色々なことを乗り越えられたと思います。
(ま、ある意味で分断も作ったでしょうけどね)
さて、異動した学校でも体育主任として、ある程度のポジションを獲得したらいざが、異動前の最後に体育行事関係で取り組んだのが、
近隣校との交流スポーツ大会における6年担任の負担減です。
ちなみに前任校でも、6年生は近隣校との球技大会的なものがあって、校内大会を勝ち抜いた代表クラスだけではなく、6年担任は全員が毎日のように放課後練習のお手伝いをしていました。
そして、異動先でも同じような状態だったのです。
6年生担任は練習には必ず出る。
それが当たり前のこと。
(誰も疑問を持たない、もしくは持ってもアクションを起こさない)
もちろん今の価値観ならば、そもそもの練習回数を減らすとか、勝利ばかりを追い求めるスタイルを大々的に捨て去ることをするんですが、その当時の自分はまだまだ古い価値観でしたのです。(だから後悔は少しありますよ)
とにかく、
六年担任を希望する人が毎年いなくて同じメンバーばかり。もしくは異動してきた人にやらせる。
この事実が明確に見えてきます。
これは大会の練習もそうですし、宿泊などや他の行事も含めて、明らかに六年生の業務量が多かったのが一因だと思います。
(どこの学年も大変なのは分かった上での事実を書いています。ちなみに自分も5.6.5.6でした。)
だって放課後に自分の時間ゼロですよ。
しかも、学年会も17時半とかから始まる。
(下校の見送りもあった)
この六年生担任の負担が大きいって、全国の至る所で起こってることではないでしょうか?
さて、らいざは当時、六年生担任ですが改革に踏み切ります。
自分の学年を楽させようとしてるんじゃないか?みたいな批判すらも覚悟して、放課後練習の回数を6年生担任と他の学年の担任を含めて、基本的には全教員に平等に割り振ります。
いや、これ六年生だけの行事にしたらダメなんですよね。他校との交流大会で、学校の看板を背負って出るわけですから、どこかに負担を集中させるんじゃなくて全教員みんなで助け合うがあると思ったんです。
と言っても、うまく組んでいけば、1人3〜4回くらいの担当で賄えたんです。(ただし、やはり体育部のメンバーには、そこより負担は多くなってしまいました)
全体にも趣旨を理解してもらって提案は通り、6年生担任の負担を減らすという計画通りに運営は行うことができました。
この年度でまた異動をしたので、その後はどうなったかは知らないのですが、、、
このような今までやっていた当たり前を覆せたことが、3校目での業務改善にも繋がってる
と思います。
というわけで、二作目はここでおわりです。
らいざの体育主任としての成長が見られた二作目ですが、長時間労働は無くなったわけではなく、やはり土日などに出勤することはありました。そして、ここでは綴っていませんが数えきれないくらいの大変な方もありましたので、それも忘れずに伝えておきます。
では、異動した三校目での話は、また三部作の三作目で書きたいと思っています。
長文読んでいただき、ありがとうございました。
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