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自由への挑戦、自由を獲得するために。part2

このnoteは、最近社長になった人と、まだ何者になるかわからない若者が、「こんな生き方もいいんじゃない?」とライフスタイルをゆるく提案するnoteです。

■自由はどこにあるのか

社長 どこに自由があるのかは知りたいな。

20代役者 社会学的にいうと、自由はない。

社長 あ、ないんだ(笑) まぁそりゃあないけどさ。何で自由はないってことになってるの??

20代役者 人間は社会に影響される生き物だからですね。例えば、砂漠に行きたいと意思しても、その行きたいと思って意思したのは、何かのコンテンツを見たのか、誰かが話していたのか、はわからないけど、何かしらに影響を受けたと考えるからです。

社長 なるほどね。やっぱり社会学でも、不自由の中でしか自由を見つけられないと。

20代役者 そうですね。社会学では自由はないです(笑)主観的には自由はありますけどね。

社長 社会的にはないわけだ。影響されてるからね。

20代役者 そうですね。

■いくつかの概念

カントの自由意志
妨げられていない意思を自由意志。
主意主義的世界観
社会では因果ではなく意思が出発点。だから意思の前には遡らないという世界観。
主知主義的世界観
僕たちが全能なら、意思の前に遡って、何かが起きた原因がわかるはずだという世界観。

20代役者 社会学では、永遠に遡れてしまう主知主義的世界観は一旦捨てています。なぜなら、誰かが花瓶を割ったことに対して祖先の祖先のまた祖先のと遡ると、誰の責任にもなり得ないからです。これが実践理性批判の世界観です。

社長 なるほどね。

20代役者 主知主義的世界観は自然界ではありえます。ラプラスの悪魔というやつで、ある一時点における物体の位置と運動を計測できれば、何億年後も予測できてしまうというやつです。これはカントの純粋理性批判ですね。


■何が自由で不自由なのか。アリストテレスからカント

20代役者 カントは欲望に支配された『やりたい放題』の状態は、典型的な不自由の形だと言うんです。なぜなら欲望や感情というものは降ってくるものだからだと。

社長 なるほど。

20代役者 これはアリストテレスの『パトス』という言葉からの派生です。受け身になるしかないものは、不自由だと。むしろ、欲望や感情にあらがうときにこそ自由は生まれるそうです。

■自由を感じるには??


20代役者 宮台真司が言うには、内発性こそ自由を感じると。

社長 〇〇したいとかね!

20代役者 自己実現への行動ってことですかね。

社長 なるほどね。

20代役者 あとは、スゴイ!と思う人に感染する事とも言ってます。誰かに感染すると、その人の考え方とか、困難があってもあの人ならどう捉えるかとかを考えて、前向きになると。これも内発性だと言うんです。僕は確かにと思います。

社長 じゃあ、湧き上がる内発性こそ自由を感じるための手段なわけだ。

20代役者 そうなりますね。で、考えたんですけど、人は社会に影響されるのだから、社会を変える歯車になりたいなと思うんです。

社長 ほうほう。

20代役者 自分で考えて行動して、自己実現のために生きる人とか、何かを気づけるような人を僕たちは育成したいわけで、それを作るには社会が必要だなぁと。

社長 どうやったら変えれると思う?

20代役者 具体的な方策はわからないですけど、ナッジ(人をいい方向へと導びいてあげる)をうまく使うという方法もありますよね。

社長 たしかにね。影響力の輪が届くところからね。

20代役者 社会を変える歯車になれれば、人を変えれる可能性もありますよね。自由を獲得できる人が増えれば、幸せが訪れるかもしれない。はたまた、自由という名のカオスな世界になるかもしれないですが。そんな世界を見てみたいです。

■20代役者まとめ 自由は獲得するもの 

人は徹底的に社会に影響されながら(因果律)、端的に意思できる(自由意志)。

私たちは、何かに影響されてしか生きていけない。じゃあ、何に感染したいのかを選ぶべきだろう。それは自己実現のための感染だ。そしてそれは『自由』だ。
自由は、パトス(情念)からは生まれない。自ら感染し内発性を刺激して、自由を獲得するしかないのだ。それが自由への挑戦だ。