浪漫の箱【第1話】
高校2年生の2学期、これから体育祭に文化祭、修学旅行とイベントが目白押し。
クラス全体が浮ついている雰囲気の中、僕は教室から逃げた。
特別嫌がらせをされたわけでもない。
何だか箱に閉じ込められているみたいで窮屈に感じていた。
毎日毎日同じことの繰り返し。
規則に縛られ、浮いているやつは吊し上げられる。
僕はとにかく人から注目されたくなかった。
ひっそり過ごしてさっさと卒業したかったのだ。
きっかけとなった出来事は、9月の連休明けの英語の授業中。2時間目だった。
ちょうど担任の授業で、先生は定期的にチームワークを要するゲームを行う。
今日は伝言ゲームだ。
1番前の人にそれぞれ2つに折り曲げられた紙が置かれる。
「はーい。後ろの人に見えないように開いてねー。」
そこに答えが書いてあるのだ。
1分で覚えて裏返し、後ろの人に伝えていく。
最後に一番後ろの席の人が口頭で答え、合っていれば1週間先生に当てられない権利がもらえるというもの。
連帯責任型ゲームだ。
根暗でコミュ障である僕はこれが死ぬほど苦手だった。
しかも僕は一番後ろだ。みんなの前で発言しなければならない。
それだけでも嫌なのに「間違えていたらどうしよう」と緊張と不安で胃が痛い。
でも答えなければ。
「あ…I had a vacation wonderful summer.」
結果は不正解。
"vacation"の前に"summer"だった。
うわ…やらかした、と頭が真っ白になった。
案の定ゲームは失敗に終わった。
気のせいか同じ列のみんなは不貞腐れており、目が冷たい。
だって前のやつが…!
それとも僕が緊張し過ぎてミスった?
というかそれ以前にみんな僕が嫌い?
この2-Aという箱の中にとって邪魔者?異物?
『池田くんってさぁ…ひそひそ…』
『クスクス…』
『存在まじ空気よね。』
これは幻聴だよな。そうだよな。
幻聴?幻聴が聞こえるまで僕は…。
―あ、もう無理。
僕は授業が終わってすぐに担任の方へ向かった。
「…どうした?池田くん。」
「あ、あの…朝から具合が悪くて…びっ病院に行きたいので帰らせてください。」
仮病で帰るのは初めてなのでかなり緊張した。
担任は眉を一瞬しかめ了承したが
「お父さんかお母さんに連絡しなくていいの?」
「2人とも忙しいと思うので自分で何とか行きます…。」
僕の両親は共働きだ。父は銀行員で母は保育園の看護師として働いている。
「本当に大丈夫なの!?」
「大丈夫です。」
「はぁ…そう。気をつけて帰ってね。」
絶対疑っている。
それでもよかった。
『えっ…帰るん?』
『いいなー。』
『うちもサボりてぇー。』
周りの好奇の目なんか気にしない。
ようやく出られる嬉しさの方が勝っていた。
特に誰にも心配されず。僕は教室を後にした。
『自由だー!』
外に出た瞬間思わず叫びたくなった。
『あ…でも親に連絡いくかな。』
同時にとてつもない不安に見舞われた。
どのように言い訳しようか。
あと、正直もう学校に行きたくない。しかし辞めたところでどうする?
なんやかんや考えていると、学校帰りに必ず通らねばならない田舎道にある祖母の家が見えてきた。
遠回りすればよかった。
家庭菜園が趣味であるため外に出ている可能性が高い。
幸い車は停まっておらず外出中のようだ。しかし、油断は禁物。
僕はとにかく無我夢中で走った。
こんなに走るのは体育の授業くらいだ。
今のところ人も車も1台も通らない。
頼む、誰も見ないでくれ!
僕はそのまま緑の世界に飲み込まれていった。
――
「…どこ。」
歩いても歩いてもいつもの大通りに出られない。
「ここ、どこ?」
僕はふと顔を上げると知らない市道にいた。
周りは緑、緑、緑。
狸か鹿が出てきそうな雰囲気だ。風に乗ってほんのり土っぽい匂いもする。
無我夢中で走り過ぎたようだ。
携帯は何と圏外だ。
「やっべぇな引き返すか…。」
そこへ前から1台の軽トラが来た。
田舎なので知り合いかもしれない。とっさに汗を手で拭うふりをして顔を隠した。
しかし軽トラは僕の横に止まり
「おーい。」
と運転席のおっちゃんが窓を開けて話しかけてきた。
日焼けしてて真っ黒だ。
助手席には奥さんと思われるおばちゃん。知らない人たちだったが
「はっ!はひ!」
思わず声が上ずる。
「こっから先は、おいのとうもろこし畑しかないど。何でこんなとこおるんか?」
「えっえっ!すみません!道に迷ってしまって…。」
すると、おばちゃんがシワシワな目を細めながら見つめてきた。
「…ん?あなたどっかで…。」
おっちゃんが「おー!!」と大声をあげた。
肩がビクッとなった。
「スミちゃんとこの孫やろ?」
スミちゃんとは祖母のことである。
何で分かるんだ。田舎のネットワークって恐ろしい。
しかも路肩に軽トラを停め、2人がゾンビのように出てきたではないか。
「かーっ!ぺっ!」
おっちゃんが痰を吐いたあと、胸ポケットからタバコとライターを取り出して吸い始めた。
一方でおばちゃんが懐かしさを含んだ声で
「覚えとらん?ほら!えーっと…貴宏くんやろ!」
「えっ…はい。」
名前まで知っている間柄。誰だ?
「やっぱ面影ちょっとだけあるねぇ〜。幼い顔立ちやからすぐ分かったわ。」
頭の中の警報器が鳴っている。
「昔な、一緒に焼き肉したの覚えとる?三郎おじちゃんとアキおばちゃんよ。覚えとらんよな?まだ3か4つくらいやったもんね。」
「は…はは…。」
「貴宏くんソーセージばっか食べてて野菜食わんか!って宏くんに叱られてわんわん泣いて走り出してそこん田んぼに落ちたんよー。」
宏くんとは僕の父のことである。
おばちゃんが指差した先は道路を挟んで向かい側の田んぼだった。
「えっ!」
全く覚えていない。そんなエピソード、お父さんから聞いたことあったかなと記憶を辿っていると、おばちゃんが柔らかな口調でぶちかましてきた。
「ん で 学 校 は ど う し た ん ね ?」
一番聞かれたくないワードがスローで聞こえる。
心臓が1センチほど跳ね上がった。
「えっ…と。早退して…。」
そう告げるとタバコを吸っていたおっちゃんが吹き出した。
「ぶはーっ!そいで道に迷ってしまったんか?おかしな話じゃな!頭は大丈夫け!」
そこで初めておっちゃんの目をちゃんと見た。
くっきり二重で目とつり上がっている太い眉の間隔が近い。俗に言う醤油顔だ。
声もデカく方言も相まって威圧感がすごい。
この人、怖い。
「あんたは黙っとらんか。んーそーね。えーと。」
しばらく考えていたおばちゃんが切り出した。
「とりあえずお家まで送ろうかね?あぁでも大通りで荷台は流石にな。いったんうちに戻って車に…」
「えっえっ!家…。」
「…なんかー?まずいんか?がははっ!」
まず過ぎる。
「あぁ、とりあえずスミちゃんちに連れて行くけ?宏くんも美奈子さんも仕事中じゃろうし。」
美奈子さんとは僕の母のことである。
「それがよかが。」
よくない。
それだけは勘弁してほしい。
僕は林の中の方に回れ右をし、走った。
「持て!おいっ!!」
後ろからおっちゃんが追いかけてくる。
「うっわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
来るな来るな!
「おいアキ!おまえはスミちゃんとこ行け!もたもたすんな!」
「うっさい!言われんでも行くが!」
おばちゃんは軽トラに慌てて乗り込んで行ってしまったようだ。
祖母は確かさっき外出中だったはず。
お願いだから家にいないで。途中誰かに捕まって長話ししてて。
「おぉーい!!こん先は危ねぇどー!!怒らないからいったん止まりなさい!!」
絶対に怒られる。あと各方面からも。
「はっ!はっ!はっ!」
パーパパー♪
エーデルワイスのメロディが聞こえる。
この町の正午のお知らせだ。
僕は何時間この訳の分からない場所をさまよっているんだ。
「持たんかっちよ!クソガキャー!」
それからもしばらくおっちゃんの鬼ごっこが続いた。
ふと上を見上げると隙間から差す木漏れ日が幻想的だ。
ガンッ!
「っう!」
膝に固い物が当たる。危うく転けそうになった。
よく見ると岩の一部のようだ。
いい隠れ場所発見。
――
「ぜーはーぜーはー。どこ行った?おーい!おーい!おー…」
僕は先ほど奇跡的に見つけた岩に隠れておっちゃんを巻いた。
ヒョロガリがここで役立つとは。
カサッ
下を見ると白い紙が落ちていた。
何だこれ?
拾い上げてよく見てみると紙全体が修正液か何がで塗り潰された手紙らしきもの。
両面丹念に塗り潰されているため日に当てても見えない。
表面がザラザラしている。
この人は何を書いて、何を思いながら塗り潰したのだろう。
まだ白いため比較的新しいものだ。
紙に鼻を近づけてみると、ほんのり灯油っぽい匂いがした。
「…おう。ここにいたか。」
「ぎゃっ!わーっ!!!」
顔を上げるとおっちゃんがいた。
―ゲームオーバーだ。
これで僕は元の箱に閉じこめられるんだ。
親には引っ叩かれ、学校を休みたくても行かされて、あの窮屈な箱で1日を過ごす毎日が待っている。
「あ…あぁごめんなさ…」
「そっ!それ…おいに見せなさい!」
おっちゃんが紙を指差した。
目がカッと見開かれ迫力満点だ。
「こっこれ、僕のじゃないです!」
「おいの捨てたやっちゃ。あーいたよ!見つかっしもたー!」
「…え?」
「んー、貴宏くんには特別に言っちゃる。これはおいの"愛人"からのラブレターじゃ。」
「愛じ…え?」
2006年9月19日の13時前。
この1枚の紙がのちに大きな嵐を運んでくるきっかけになるなんて、この時の僕は思いもしなかった。
―続く―
↓第2話
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