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浪漫の箱【第2話】

↓第1話




「…えっ!奥さんと仲良さそうだったのに…。」

2006年9月19日の午後。

まだ残暑が残るが風が吹くとほんのり秋を感じるど田舎の林の中。

目の前にいるいきなり現れたおっちゃんは「愛人からラブレターを貰った」と、僕にとっては心底どうでもいいことをカミングアウトした。

しかし貰ったラブレターと言うものは、無理矢理真っ白にされたただの紙である。

「今は繋がっとらんが30年前くらいに貰ったやつじゃ。この間見つけてしまってな。でもゴミの仕分け係は嫁がやってる。もし見つかったら終わりやと思って。」

「はぁ。」

「そいで夜、畑見に行くふりをして手紙を塗りたくった。何書いちょっか分からんようにするためにな。ただでさえ匂いがすげかったから、外でよかったわぁ。修正液でけぇの2本使い切ったど。」

この人、ヤバい。異常。

「んでこの林ん中にポーイじゃ。そしたら見つかっしもた!はっは!」

「ポイ捨てかぁ…。」

僕がボソッと呟くと迫力満点な目がギョロッと僕を捕らえる。

「あっ!すみません。」

「いや、おいが悪い。ちゃんと捨てますよ。ただお願いがある。」

「はい。」

「貴宏くんが今日何しにここに来たんか分からんがスミちゃんや母ちゃんにうまく言っとってやる。だからこのことは黙っとってくれんけ?」

「分かりました。」

「男同士の約束じゃ。」

続けておっちゃんが言った。

「貴宏、こん手紙を預かっちょってくれんか。」

親以外に初めて呼び捨てされた。しかもいきなり。

「え!さっき捨てるって言ってた…。」

「まぁ聞け。そいでおいが死んだらこっそり封筒に入れてうまいこと棺に入れっくれ。何年先になるか分からんがな。」

「はぁ…。」

「これはおいと共にこの世からいなくなるのが一番やと思う。それまでよろしくお願いします。この通りでございます!」

高校生のガキ相手に地面に土下座しながらお願いをされた。

よく見るとほんのり頭頂部がハゲている。

「はい、分かりました。」

「ありがとな。」

――

そんなこんなで僕とおっちゃんの奇妙な約束が成立した。

ちなみに早退の件はおっちゃんが担任と親にはそれぞれうまいことを言ってくれたようだ。

親には「何で私たちに言ってくれないの?」と少し怒られたが。

「さて…。」

この目の前の白い紙。

元々何柄の便箋かさえも分からないほど隙間なく塗り潰された真っ白さ。

あのおっちゃんの秘密がたっぷり詰まったパンドラの箱。

愛人って誰だろう。

もしかしたら知っている人だったりして。

僕は好奇心に負けてカッターを取り出した。

いけないと分かりつつ厚みのある部分をちょっとだけ削ろうと試みた。

紙が切れないように気をつけないと。慎重に、慎重に。

ガリガリガリ…シャッ

「あ!しまった切れ…つ!」

最悪なことに紙の一部が切れた上に、カッターの刃が滑って左手の親指のつけ根付近をざっくり切ってしまった。

じわじわ血が溢れ出した。

「わっわっやべぇ。」

白い紙を汚さぬよう机にしまい込み、ティッシュで止血した。

それでも止まらず、腕まで伝ってきた。いくら自分のと言えど血が大の苦手なので気が遠くなりそうだ。

「貴宏ー。体調はどう?開けるよ。」

母の声と共にノックの音が聞こえる。

「…たたたっ貴宏!あんた何してるの!?止めなさい!!」

母が悲鳴に近い声を上げた。

「どうしたんか!?」

それを聞いた父が慌てて駆けつけてきた。

「いや…これは…。」

「早まるなバカ!とりあえず病院じゃ!!」

――

結局僕は5針縫った。終始母は泣いていた。

父はうつむきながら

「貴宏、悩みがあるのなら何でも言ってくれ。」

どうやら自傷行為をしていたと勘違いしているようだ。

だが、いい機会かもしれない。学校に行かなくて済むチャンスである。

「…辛かった。死にたいくらい。」

顔を包帯が巻かれた方の手で隠しできるだけ暗いトーンで言いながら鼻をすすってみる。

「何が?もしかしていじめられているんか!?」

「別に嫌がらせとかされているわけじゃないんだけど…。」

「けど?」

「な、何だろう。雰囲気が…教室が怖い…怖い。学校…い、行きたくない…。」

嘘泣きするつもりが、打ちあけながら僕は本気で泣いていた。

「気づいてあげられなくてごめんね。」

「分かった。しばらく学校のことは忘れてゆっくりしろ。先生には伝えとくから。」

――

というわけで翌日から学校に行かない生活が始まった。

なるべく学校のことは忘れたかったので自分の好きなことをした。

昼前まで寝て昼食を食べてゲームして、夕飯と風呂が済んだら夜中まで漫画や25ちゃんねるを見たりの繰り返し。

そして

「やっぱ文字、剥げてやんの。」

僕は再度例の紙を見てみた。やはりこの間切ってしまった場所はボロボロだ。

かろうじてうまくいった場所も掠れて読めない。

唯一見えたのは黄ばんだクローバー柄らしきものの一部のみだった。

だいぶ傷を付けてしまったし、おっちゃんに呪われそう。

母に修正液を借りることにした。

「母さん、修正液借りていい?」

「修正液?いいわよ。ラベンダーのやつしかないけど。」

「ありがとう。」

部屋に戻って削った箇所を塗り直した。

母が貸してくれた修正液はペンタイプのラベンダーの香りがするものだった。

部屋中があっという間にラベンダーの香りに包まれる。

ボコボコになったが何とか修繕できた。

そして1本使いきってしまった。

このタイプの修正液はすでに廃盤になっているため何か言われるかな。

ほんのりラベンダーの香る白い紙を眺めながら改めて考えてみる。

少なくとも、おっちゃんとこの手紙を書いた人物は不倫をしていたわけだ。

そういう関係ってそういうことだろう。

おばちゃんはおっちゃんの帰りを夜な夜な待ちながら泣いていたかもしれない。

何かそう考えると少し腹が立ってきた。

純愛のつもりなのか。というかジジババの色恋とか興味ないんだよ。

その一方で今の状況を楽しんでいる自分がいる。

変なの。

そんなことより、早く母に謝罪に行かないと。


「ごめんなさい。全部使ってしまいました。新しいのを買います。」

「え!?全部使ったん!?あれお気に入りだったのに!何に使ったらなくなるの!?」

ラベンダーの修正液はもう売ってない。

「あ…新しいペンタイプのやつ買うから…。」

「いいよテープあるから!!はーあ。全く…」

最近、更年期なのか母はヒステリックになることが増えた。

これがなかなか面倒くさい。

ただ、せめて家だけは窮屈な空間にしたくない。

僕は部屋に戻るなり窓を開けて、ほんのり漂っているラベンダーの香りを外に逃がした。

――

僕が不登校になって1か月。

朝晩涼しくなってすっかり秋らしくなってきたある日。

毎日毎日同じことをしているとだんだん飽きてくるものだ。

両親は仕事で不在だったので家中を散策してみることにした。

最大の目当ては父の書斎。

昔、グラビアアイドルの写真集やエロ雑誌を発見して以来「お宝部屋」と勝手に名付けた。

残念ながらお宝はなかったが、漁っていると古いアルバムを発見した。

昭和感を感じる表紙を見て、結構年季入ってんなと思いながら捲ってみる。

僕が幼い頃の写真だ。

母に抱っこされた僕は無表情で何が起こっているのか分からないような顔でカメラを見ていた。

お宮参りの写真には生きていた頃の祖父が写っている。

それから間もなくして亡くなったため、祖父との思い出はない。

少し寂しいなと思いつつページを捲ると、しばらくは赤ちゃんの頃の自分の姿や若き日の両親や祖母の写真が続く。

「あ。」

みんなで祖母の家の庭で焼き肉をしている写真が数枚あり、思わず目が止まる。

写真の右下には「1992.8.15」と書かれている。僕が3歳の頃か。祖父は既に他界している。

ということは…。

1枚1枚を隅々まで見た。

「いたっ!おっちゃんたち!」

1枚だけだがおっちゃんとおばちゃんのツーショット写真が見つかった。

おっちゃんは片手にビールを持っており、おばちゃんは肩に手を置いて微笑んでいる。

約14年前ということもあって若い。あの迫力満点の目は絶対そうだ。

全体を写した写真では、僕はおっちゃんの真正面に座っており可愛い花柄のシャツを着てピースしている。

花柄…少し複雑だ。

まだ綺麗だからこの後父に野菜食わんか!って怒られて田んぼに落ちたのだろう。

最後のページに差し掛かり、ふと1枚の写真に目が止まる。

「へ?」

これはどういうことなのだろう。

――

夕飯が終わり、僕は家族でこのアルバムを見ようと提案した。

「あらま、随分懐かしいのを。ねぇあなた。」

「書斎を勝手に漁ったんか。」

「ごめんなさい…。」

しかし父はやましいコレクションがあるからかあまり強くは言えないようだ。

「それにしても懐かしいなぁ。貴宏はこんなにちっこかったんだぞ。」

どうしても確かめたいことが何点かあった。

「この三郎おじちゃんとアキおばちゃんってさ、親戚になるの?ほら、ばあちゃん家で焼き肉してる写真に写ってるじゃん。」

「…あぁ、日高さんね。2人はおばあちゃん家のご近所さんよ。」

「へー。日高さんか。」

「三郎さんはおじいちゃんと仲良かったの。おじいちゃんがいなくなったあともおばあちゃん家の草刈りとか手伝ってくれてるみたい。この間の件と言い本当頭が上がらないわ。」

「本当は俺たちがやるべきなんやけどな。やろうとしたら三郎さんたちがしてくれたからよかよ〜っていつも先越される。」

そんな繋がりがあったとは。

「じゃあ、この人は?」

僕は最後のページのあの写真を指差しながら

「この、僕を抱っこしている人。」

なぜこの写真が最後のページに乱雑に入れられていたのか。

まだ僕の姿は0〜1歳くらいだったのだ。

何も分からぬままカメラを見ている自分と対象的に、眩しいくらいの笑顔で写真に写っている綺麗なお姉さん。

20代後半くらいだろうか。

そしてそのお姉さんが身につけていたノースリーブワンピースの柄。

あの日、僕が着ていたシャツと全く同じ花柄だった。

―続く―



↓第3話

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