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眠る青春

私はイシグロケイという名の男に恋をしている。彼とは現実で一度も会ったことはない。いつからか毎晩夢に出てくるようになった。

夢の中の私達は高校生で舞台は毎回母校の教室であった。最初は気味が悪くて高校の卒業アルバムを見てもイシグロケイという生徒はいなかった。彼は気配りが上手で常に笑顔を絶やさず、周りにも慕われているようであった。私は友達がおらず1人ぼっちだった。そんな私に「ねぇ、今日の数学分かった?」と笑顔で話しかけくれたのがイシグロケイだった。毎晩夢の中で彼と何気ないやり取りをしていくうちに恋心を抱くようになった。

夢の中と言えど、触れる勇気はなかった。彼も特にそれ以上の行動は起こさず、幼い頃に読んだ純粋な恋愛漫画を読んでいるかのようであった。
一度形だけ結婚しており何故か教室で2人で朝食をとっていた時は流石にびっくりした。しかしその夢から覚めた朝は何だか清々しく、自分でも浮かれているのが分かった。

ちなみに私は既婚者である。決して今の結婚生活に特に不満はない。旦那は積極的に家事を手伝ってくれ、不平不満も滅多に言わない。友達からも「羨まし過ぎる!私の旦那に見習ってもらいたい。」と評判が良い。両親も「本当にあんたにはもったいないくらい良い人に巡り会えたわね。」と帰省する度に言われる。完璧な旦那なのだ。

彼は若干潔癖な所があり、埃の取り忘れやシンクなどの磨き残しがあるとアドバイスやお手本まで見せてくれる。本当にありがたい話だ。

しかしイシグロケイの夢を見続けて1か月経った頃、日常生活に若干支障が出始めた。

「雪子、何か最近ボーッとしてないか?」
「え?そうかな?」
「いつも眠そうだぞ。眠れているのか?」
「うーん、最近悪夢を見てて。何の夢かは朝になったら忘れているけどね。」

「別の男性と恋をしている夢を毎晩のように見るんだ。」など死んでも言えなかった。

それから約1週間後、夕飯中に旦那から「風呂に汚れが残ってた。俺がやっといたから。」と言われた。完璧にやったつもりだと思っていただけに少し落ち込んでしまった。早く眠りたい。早く寝て夢の中に住んでいる彼に会いたい。今度こそ告白するんだ。そう強く念じながら洗い物などの家事を済ましベッドに入る。

いつものように私は教室にいた。周りには珍しく他の生徒がいない。「雪ちゃん!」後ろから彼の優しい声が聞こえた。高鳴る胸を抑え振り返った。「っ!」声が出なかった。いつもの緊張からくるものではない。

彼の顔はまるで黒のボールペンで塗り潰されたように真っ黒だったのだ。

舞台がいきなり学校の屋上に変わった。誰から見た視点なのか私たちは手すりの向こう側にいる。視点が再び自分に切り替わる。

「雪ちゃん、ここから飛んでずっとずっと一緒にいようよ。」ぐいっと引き寄せられる。このままでは一緒に…

そこで目が覚めた。隣で寝ていた旦那に「おい、随分うなされていたぞ。」と言われた。あまりにも現実的でぞくぞくした。

それから数日後、旦那の勧めで1人でリフレッシュがてら電車に乗って海が見える町に行ってきた。私は昔から電車に揺られてのんびり旅をするのが好きだった。中でも今から行く海が見えるA町は駅周辺は賑やかだが少し歩くと昔ながらの商店街がありどこか懐かしい雰囲気があって歩いているだけで心が満たされた。久しぶりに来たがあの頃と変わらない暖かな街並みがまるで私を歓迎してくれているようで少し鼻の奥がツンとした。

しばらく歩いていると告別式の道案内看板が立っていた。

「…石黒圭」

いしぐろ…けい…?

気が付いたら吸い寄せられるように道案内看板を辿ってひたすら歩いていた。大通りから商店街を抜けて海が見える道をひたすらと。すると葬儀会場に着いた。入口を見てまず目に入ったのは名木。

石黒さんは私と同い年だった。不思議と涙が溢れてきた。自分が何故泣いているのか分からない。「あのご遺族様の関係者でございますか?」会場のスタッフが眉を八の字にしながら優しく話しかけてきた。喪服も来ていないから傍から見たら怪しいであろう。流石に親族でもない、ましてや一度も会ったこともない。でもせめて遺影が見たい、という不謹慎な考えがふと頭をよぎった。

スタッフにどう説明しようか混乱していると誰かが走ってきた。石黒サチエと名乗る女性。石黒さんの母親だという。

「あなた、もしかして近藤雪子さんですか!?」

母親が言うには遺品整理をしていたら石黒さんの部屋から私の写真が大量に出てきたらしい。私は情報が入り過ぎて頭がぐちゃぐちゃになりかけていると「…息子は昔から周りに気配りができてとても優しい子でした。毎年母の日にプレゼントを送ってくれてね。自慢の息子でしたよ。病院から電話が来て着いた時には息子はもう…死後2か月だって…そして遺品整理していたら会社に提出するためなのか休職届と診断書が見つかったんです。精神的な病を患っていました。まさかあの子が自殺するなんて…もっと早く気付いてあげれば…」震える声で母親は語り始めた。

彼の死因は飛び降り自殺だった。住んでいるマンションの10階のベランダからだそうだ。母親は寝室のベッドの枕元にあったという遺書を私に手渡した。

「最初に、先に旅立つ事をお許しください。いつからでしょうか、毎晩近藤雪子さんという女性が夢に出てくるようになったのは。舞台は高校で彼女は羊の姿をした友達と一緒に過ごしているが、どこか無理をして自分を取り繕おうとしているように見えました。まるで自分を見ているような気分で気がついたら彼女に話しかけていました。そして恋心を抱くようになりました。触れる勇気はなく話しかけるだけで精一杯でした。それからだんだん夢と現実の境目が分からなくなってしまいました。頭の中は彼女でいっぱい。彼女は実在するのかと気づけばSNSなどを片っ端から調べていました。すると簡単に分かってしまうものですね。僕は今から彼女が行くであろう場所に待機してました。そして実物を見た日の衝撃は今でも忘れられません。気持ち悪いしいけない事だと分かっているんです。でもそれからも追跡は止められませんでした。いつものように写真を撮ろうとしたら隣に旦那さんらしき人がいました。結婚している事を知った日はとてもショックでした。雪子さん、あなたは何故僕の夢に出てきたのですか?偶然とは思えません。僕はこの先、手に入れる事のできない幸せな夢を見続けることは耐えられない。旦那さんから奪う?そんな事できません。だからいつか一緒になる日まで僕はあなたの中に住み続けられたらと思ってこの選択をした、ずっと一緒いたいから、ずっといっしょに、僕の夢毎晩見て。ずっとずっとずっとずっとおやすみなさい」

と最後は書き殴るように綴ってあった。

何で彼が私の写真を?彼は私の事を知っていたの?どこからか見ていたの?ストーカー?

頭の中を整理する事に集中していたら、頬に衝撃が走った。遅れて気づく。私は石黒圭の母親に平手打ちされたのだ。

「あんたが私から大事な息子を奪ったのよ!結婚してるくせに!夢が何だとかは嘘よ!あんたが圭をたぶらかしたに決まってる!しかも喪服も着ずに!息子の死を何だと思ってるのよー!」

だいたい何故イシグロケイは私を?というか勝手に夢に出てきてたぶらかしたのはそっちじゃない。そんなに私を?いい迷惑である。彼も私に恋していたのね。

という事は私達両想いー?

「ちょっと何ニヤついてんのよ!まだ話は終わってな…」スタッフや親族に取り押さえられながら泣き喚く目の前の老婆の怒声をBGMに会場をスキップしながら後にした。

「息抜きできたようで良かったよ。」仕事から帰ってきた旦那が安心した顔で言う。「うん!とっても楽しかったよ。海が綺麗だったな〜。急いで夕飯支度するね。」鼻歌を歌いながら旦那の苦手な人参抜きの肉じゃが作りに取りかかった。

しかし次第に家事もおごそかになり始め、食事や入浴もせずに寝込む日々が続くようになった。最初はどこか悪いのではないかと病院受診を勧めたり、代わりに家事をしていた旦那だったがついに限界を迎えてしまった。

「お前一体どうしたんだよ!ずっと寝室に籠りっぱなしで…正直隣で寝るのも…その…匂いが…。このままじゃ俺もおかしくなってしまいそうだ。しばらく実家に帰らせてもらう。明日支援センターの相談員に来てもらうようにお願いしたから。今夜はソファで寝る。」

だって、イシグロくん。本当はね、一度掃除した場所をじろじろ見られるのが嫌だった。また掃除している旦那を見ると申し訳なさと苛々で胸が張り裂けそうだった。でも今まで誰にも言い出せなくて息が詰まりそうだったの。唯一の癒やしはあなたとの時間だった。でももうすぐ自由になれそう。私も今日こそはそっちに行くね。

いつもより多めの薬を飲んで夢の世界へ。そこはいつもの教室。だが「やはり」彼はいなかった。あの町に行った日以来彼は夢に出ることはなかったのだ。私の中に住み続けるとはどういう事だったのだろうか。私は頭が真っ白になり何度も何度も彼の名を叫ぶ。

ふと目が覚めると白い天井だった。そして白いシルエットがうじゃうじゃと「イシグロくん!イシグロくん!」と叫ぶ私を慌ただしく抑えた。横で旦那が泣いている。一際大きなシルエットが何か呟いた。腕がチクッとしたので注射を打たれたようだ。少し眠くなってきた。

今度こそずっと一緒に。

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