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納沙布岬【北海道】旅の私小説「喜悦旅游」#16

 北海道に到着して3日。道東の遠軽から摩周湖を経由し、向かうは日本の本土最東橋、納沙布岬だ。

 約150kmの道のりの大半は、穏やかな林道の風景が続く。昼食の摩周そばでお腹がいっぱいだったこともあり、いつの間にか、うとうとと眠ってしまった。盛田さんは淡々と運転してくれた。途中、何回か休憩に立ち寄ったというが、わたしは覚えていない。

 あとで、車の外から撮った証拠写真を見せられて、「そうだったんだ」と思ったほど、深く眠っていた。


 ひたすら眠りこけて、目が覚めたら夕暮れ。納沙布岬まで後少し、というところまで来ていた。日没前、絶妙な空のあわいが、うつくしい。

 道のそこかしこに書かれた、「北方領土返還」の文字が目に飛び込む。

 納沙布岬は、北方領土の歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の対岸であることは、かつて地理で習ってきた。地図上で見ても、かなり近いと感じた記憶がある。実際には、どれぐらいの距離感なのだろうか。

 「もう、ほぼこの辺りだね」

 唐突に、納沙布岬に着いた。

 チャイムがなっている。時刻はちょうど、午後5時になったところだ。昨日の宗谷岬よりも、幾分肌寒く感じる。

 海の前には、昔ながらの土産物屋があり、その奥には北方領土資料館の白い建物。

 資料館の正面あたりに、本土最東端の碑があるが、実際には、右奥に進んだあたりがそうだろう。歩いて向かってみる。

 静かに、寄せては返す波。

 テトラポットのところに、わたしたちを出迎えるかのように、鳥が大集合していた。鳥が一羽、また一羽と飛んできて、思い思いの場所に休む。鳥が飛んできた方角を見ると、島が見える。きっとあれが、歯舞群島だ。

 これほどまでに、近いとは…。

 ノスタルジーうんぬんも、歴史もなにも。これほどまでにはっきり見えて、感じられる場所。正直、距離感を感じることが難しい。日常的の風景の中で目に入り、意識できるところ。それが、北方領土だった。

 鳥は静かに海の方を見ている。わたしも、静かに海を見る。盛田さんは、岩を踏み締め、海のギリギリのところまで迫ってカメラを構える。

 ふと、俯瞰的な意識になった。

 海を見たまま、意識の視点をぐーっとあげる。

 上空。鳥も、わたしたちも、納沙布岬も北方領土も、ほとんどおなじ場所にいる。

 もっと高い視座を思い浮かべると、こちら側も、あちら側もないと感じる。宇宙という視点からみれば、ここにいるものすべて、おなじ場所、おなじ空間、おなじ命、おなじリアルで生きている…

 風が吹いた。

 何羽かの鳥が、ふいに飛び立った。あたりまえのように、あちら側へ行く。鳥にとっては、あちらも、こちらもない。つながっているのだ。彼らはそれを、確信している。

 いつの日かわたしたちも、すべての「つながり」を確信できたなら、それを信じ切って、あちらに行くだろう。その世界では、もはや「端」という概念は、ないのかもしれない。

 納沙布岬。本土最東端という「端」で感じたことは、「つながり」だった。ことばや理屈ではない。自然が教えてくれている。そうだから、そう。

 今まで端の世界、国境で感じたことのない感覚を感じられた。

 この旅に来て、良かった。


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