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神居古潭【北海道】旅の私小説「喜悦旅游」#5

 日本最北端、宗谷岬に行く途中に立ち寄った街、留萌。

 その名の由来は、アイヌ語の「ルルモッペ(潮の静かに入るところ)」。潮が流れ込む留萌川の河口付近に、古くよりアイヌ民族のコタン(集落)が形成され、昆布、鮭などの交易の場となり、さらに時代が下るとニシン漁で賑わったとか。

 時は下り、現在は北海道北部の入り口として注目される留萌。ここから、旅の第一の目的地の宗谷岬に行くには、国道232号、通称「オロロンライン」を、日本海を眺めながらひたすら北上するルートを通る。しかし、その前に、立ち寄りたい所があった。

 神居古潭(カムイコタン)。

 神居古潭は、旭川市神居町に存在する奇岩風景の渓谷だ。約1億6000万年前に海洋プレートがマントル付近まで沈み込んだことを表す、地質学的に大変重要な場所(神居古潭変成帯)である。移動がほぼ全て徒歩だった時代、アイヌの人々の長距離移動は水上交通が肝だった。しかしカムイコタンの細く険しい急流は交通の最難所であり、旅の無事を神に祈るよりほか無かったことから、カムイ(神の)コタン(住むところ)と呼ばれたという。

 背後の山には神居岩(アイヌ語:クッ ネ シㇼ=岩崖になっている山)と言う巨石があり、伝説ではアイヌの英雄神サマイクㇽの砦だったとされている。サマイクㇽと、悪神ニッネカムイが戦い、悪神がその身をバラバラにされた現場とも言われ、近くには「悪神の首」とされる巨石や、「悪神が足を取られた穴」などがある。

 バラバラ伝説に、どことなく日本神話の国常立之神を感じるのは、わたしだけだろうか。国常立は現実化を司る神ゆえに性質が厳密すぎ、諸神が話し合って丑寅(東北)、鬼門の地中深くにバラバラに斬って封じられ、形を変えて節分の行事となったという伝承がある。

 どこか物騒な伝承とはうって変わって、抜けるような青空。神居古潭の流れは、この日はとても穏やかだった。

 盛田さんは、突如崖を降りていった。水に触れたいのだろう。すごい速さで歩いていく。いつものことだ。

 吊り橋の上から、青空をぼぉっと眺めて待つ。いろいろな想いが、浮かんでは消える。悪神とは、鬼とは、なんだろうか…。価値観は視点によって変わる。価値観の大転換と社会の成り立ちの秘密が、神居古潭の地に隠され、いつしか伝承となったのかもしれない。

 かつて一つの大きな大陸=パンゲア超大陸と呼ばれたものが、約2億5000年前頃の地質変動で、様々に分割されて移動していった。そしてこの神居古潭は、大いなる大陸移動からさらに1億年を経て、現在の北海道の右半分と左半分がぶつかり、盛り上がった現場。ひとつのものがバラバラになる、交わる、そしてバラバラになる。神居古潭は、地球のダイナミックな動きが、現実の世界に投影された地形。そして、いろいろな逸話を生んだ場所。

 「それならば、まったく新しい神話が生まれるエネルギーを持つ場所なのかも知れない。」

 いにしえのマグマが冷え固まった岩の上を渡り、盛田さんが戻ってくるのが見えた。

 さあ、次の場所に。太古のエナジーを存分に受け、ここからは、ひたすら北上だ。
 最北端、宗谷岬へ。


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