【 かみなり 】 空中游泳#4
ついさっき一枚の絵が生まれた。
いつも絵を描いていると、漲る集中モードに突如入って、しばらくほぼ意識不明になる。
私は絵の勉強は全くしていないし、学ぶ気もサラサラないし、テクニックもない。体の動くままに、ただ動く。ひたすらそれ。我が出てくると全然ダメで、一向に仕上がらない。
無我で夢中になってるあの感じが、堪らない。だから、その状態ならいくらでも描ける。ところがどっこい、その状態にもっていくまでの我のやかましさったら、それはそれは。まぁ、それもおもしろいからよしとしている。
あんまりうるさいと電気を消して暗闇の中で描いている。大抵がうるさいから、いつも絵が生まれてくるのは夜。そうじゃないのもたまにはあるけど、ほとんどが暗闇から現れる。
画家転身の転機となった絵が生まれたのも暗闇だった。鳥ちゃん。
そして、生まれたら基本的にそのまま。私のジャッジなど入れてロクなことにはならない。絵が「ここ、もうちょいこうで」と指示してくることがあるときはOK。それ以降に触ってしまうと、いつも後悔。未熟。
Don’t think and touch,feel.
そんなこんなで、頭スッカラカンになって絵を描き上げたタイミングに雷が落ちたことが何度かある。フツーにビックリする。
本当にドンピシャで落ちたのは、これ。
「え?見てた?描いてるとこ」って思ってしまうような感覚になるんだけど、何かしらが自然と共鳴したようで何とも言えない幸せな感情が湧いてくる。
理屈を超えた瞬間というものは、本当にアメイジングなもので、そういう瞬間に一回でも多く遭遇したい。先日書いた「一瞬のきらめき」は、まさにこういう時に体感している。
雷も一瞬のきらめき。だから、自然現象と求める瞬間がピタッとハマるあの感じが、またまた堪らない。
そして、そういうときに生まれてくる絵は自分が見てもドキッとする。ドキッとして、ザワザワして、ジワ〜っと沁み渡る。
我が出ると描けないから、もちろん何を描こうとかモチーフは一切なく、言ってみればイタコ状態。自分が描いたという感覚も極端に少ない。なので、絵の最初の鑑賞者となるときに自分が戻ってくることになる。
こういう日々がとても楽しい。そして、うれしい。ほんと、ありがとう。
個人的にはここで完結している。だけど、願わくばたくさんの人に見て頂きたい。見て頂いた方の中に雷鳴が響いたら、この上なくうれしいだろうから。
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