2023年もありがとうございました
2023年も、しがない社会人アカウントのれいりをご愛顧いただき、誠にありがとうございました。
最後にnoteを投稿したのが2022年の8月末。そこから、前職の上司がしきりに「ブラボー!」と連呼するようになったり、憧れるのをやめたり、僕たちの青い鳥がいなくなったり、さまざまなことがありました。当時の僕は、毎日Youtubeで公開されるSLAM DUNKを見漁るのに夢中だった記憶があります。
自分の人生を語る上で、今年は思うところが多い一年でした。だんだんと日々に感慨を覚えなくなり、かつて気に入らなかったことが「まあそういう人もいるよね」と許せてしまうようになった今日この頃ですが、それでもナマクラになった自分を研ぐような作業は怠りたくないとも思います。おそらくこのnoteで主張したいことには一貫性に欠けるし、議論の話題があっちゃこっちゃ行って迷子になるのでしょうが、れいりという人間に興味がある人は最後まで読んで頂けたらと思います。
なお、あらかじめ断っておきますが、このnoteで言及するであろうことに対してお気持ち表明と揶揄するのはご遠慮いただけますと幸いです。
僕、嫌いなんですよね。昨今の「SNSに投稿される、特定の事象に対してネガティブに捉えられる投稿を"お気持ち表明"と揶揄して吊し上げる」風潮が。
便所の落書きにスポットライトを当てて、さもこの人の主張は間違っているだとか、わざわざそんなマイナスなこと書くなとか。気持ちは分からなくもないですが、自分がそれを現在進行形で好きならそれでよくない?と思うわけです。あなたはそれに"大衆性"が備わっていないと受け入れられないのか。あなたが、それに救われているのならそれでいいじゃないか、と。
まあ、そこまで熱中できるものがある人に対する羨望の裏返しであるのはいうまでもありませんが…
ちなみに、そこまで言うなら、このnoteは便所の落書きでない高尚なものなのかと意地悪な見方をする人がいるかもしれないので宣言しておきます。便所は便所でも、ここは実家の便所の落書きです。弱小Xアカウントでポストしているリンクをわざわざ開くような人は、実家に上げても良いよねという信頼の元でやっているので。いや、信頼しているなら、ここまで予防線張らなくても良くないか…
話せなくなるほど追い詰められるくらいなら仕事は辞めた方がいい
※結論、この仕事をしていた会社は辞めました。
昨年の夏頃に季節外れの人事異動が下り、本部内でも随一の爆弾案件を抱える部への異動が決まった。爆弾と言っても、そう呼ばれる所以はいくらでもある。クライアントがモンスターなのか、与件が多く単純に要件定義が難関なのか、QCDいずれかの要望が厳しいのか。自分の場合は、PMと管理職、つまり身内との意思疎通に爆弾を抱えていた。そして、ある程度のウェットなコミュニケーションを図れることが、自分が仕事をする上でのセーフティーネットであると気付かされた。
これ以上のPJや人への明言は避けるが、とにかく毎日気が重かった。まず、朝起きられない。起きても、会社へ行く準備が捗らない。ぬるっと遅れて職場に着く。「こいつ下っ端の癖に来るの遅いな」という視線をなんとなく感じる(ような気になってしまう)。PMが怒鳴り散らかしている。それを宥める管理職が疲弊する。その矛先は決して自分には向いていなかったが、その光景を四六時中見せつけられてどんどん気持ちが塞がっていく。日常生活の会話に支障が出るくらい言葉に詰まる。PJメンバーは今日もガントチャートを無視して平気でドキュメント作成を遅延する。それを見て、またPMが機嫌を損ねる。遅くに帰宅して、コンビニ弁当と鬱屈とした思いをロング缶2缶で流し込む。案の定、睡眠の質は著しく下がるため、朝起きられない。この繰り返しだった。
今改めて書き出すと、このスパイラルを構成する負の要素は自分の怠惰に起因することもあったと思い恥ずかしくなる。ただ、当時はもう限界だった。職場ですれ違う前部署の上司同僚、話したこともない同じ部署の他案件メンバーからですら心配される始末だった。それでも、管理職に相談できなかった。もう誰にも相談できなかったのだろう。その頃佳境に入っていた転職活動の結果に納得がいかなかったら休職すると総務に通達していたくらいには、追い込まれていた。そんな最中、希望する2社からご縁をいただき、これまでの不自由なコミュニケーションが嘘のようにすんなりと一身上の都合を管理職に提出。悠々自適な有給消化生活が幕を開けた。
転職活動については人それぞれだと思うのでここでは触れないが、自分の転職の動機は3割が希望職種へのジョブチェンジやスキルアップ、10年後のキャリアを見据えて、といった前向きな側面、残りは"逃げたい"という幼稚な願望を叶えるためだったことをここに告白しておく。
結局、仕事なんて何をするかではなく誰とするかなんだと思う。大多数の勤め人が会社を通じて社会に対して成せる功績はこれっぽっちもない(本当に"何か"を達成したいならさっさと起業すればいい)、だったら仕事という茶番を共に演じられる人と踊った方が、少なくとも自分は心理的安全性が保てるし好みなのだろうと思わされた。
※ちなみに、人が外れだっただけで、前職はとても良い会社です。現職での専門性が活かせるポジションがあれば、ぜひ戻りたいと思っています。僕は、わがままな人間です。
追体験でき"ない"
先に挙げた有給消化期間、いわば人生の夏休みで、僕は多くの一人旅を敢行した。平日は懸命に働いており、自分なんぞより数億倍社会から必要とされている友人や彼女を連れ出すことなどやってはならない大学生おじさんができることはそれしかなかったのだ。
その中で、どうしても行きたかったのが北海道のグリーンヒルウインドパークだ。自分を古くからご存知の方にはもはやお馴染みだろう。僕が世界で一番好きな曲「世界には愛しかない/欅坂46」のMV撮影地である。かつて、週に1日だけゼミなるものに通えば自分が肯定された時期に、単身弾丸で乗り込んだ思い出の地。
時系列で言うと、夏の美容室でAlexaに話しかけたすぐ後のことだったと記憶している。
(しかし良くもまあここまで赤裸々に自分語りできるよな…)
これ以来、何度か友人と訪れてはいたが、約5年ぶりに一人で北の大地へ旅立った−
−何度来ても素敵な場所だ。
ここで、"僕"は愛を通じて自己肯定を深めたのだなと。
思っただけだった。それが悲しかった。
あくまで断っておくが、これは歌い主が現存していないからとかそういう類の悲壮とは全く違う。
驚くほど、忘れているのだ。当時の自分を。
叶えたかった想い。依存することでなんとか保っていた自分。苦楽を共にした友人との会話。
そこに、一人で行けば、追体験できる。あの頃の自分の切実な声に耳を傾けられる。
甘えていた。衝動的なあの頃の想いと、想いが乗ったあの風景に。
思い出さなくても、縋らなくても済むようになった。そう片付ければ、むしろ自分を褒めて差し支えない成長なのだと思う。僕には、それができない。今はもう手放しても良いとしても、あの時どれだけ支えられたか。支えられたからこそ、今がある。そう思うと、感謝せずにはいられない。
覚えていなくては。会うべき人に会わなくては。
これ以上、もう何も失いたくない。
悔いのないこと
8月の横山由依さんFCイベントで話しかけていただいた皆さん、その後"ゆいビール"をした皆さん、またそれ以外でも酔いれいりに付き合っていただいた皆さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。
たまに振り返って笑みが溢れるのだが、横山由依さんを推すことに際してだけは、人生の中で全くの後悔がない。推し始めた時期だとか、"おまいつ"になれるとかなれないとか、認知をもらえるかどうかとか、お強いオタクの皆さんからケチをつけようと思えばいくらでもできるくらいのしがないオタクの僕だったが、それでも幸せだった。
それもこれも、横山さんを推す皆さんが優しかったからなのだろうな。後輩ムーブが滅法苦手な僕でも、最高に居心地が良かった。これからもよろしくお願いいたします。
この章、とにかく感謝を伝えたいがために作ったので内容が薄いな。
蚊帳の外
今年の櫻坂46はすごかった。オリジナルメンバーが段々と抜けていく中で、楽曲やパフォーマンス面、外番組での浸透っぷりと海外戦略、贔屓目なしに2023年の運営やメンバーはあっぱれだったと思う。いくらか応援していて辛い時期もあったであろうファンからすると、本当に楽しい一年だったのだろう。
僕は完全に脱落した。
特別このグループだけ興味を失った訳ではないのだが、とにかく躍進していく彼女たちを追いかけることに疲弊した。そして、追いかけなくなってしまった。
ファンコミュニティーの中で投票活動がかなりの盛り上がりを見せ、海外の何かしらの賞を受賞したと聞く。聞く、くらい。
アイドルに限らず、何かしらのコンテンツに興味を持つと、追い始めた頃が一番輝いて見えるものだ。職場や学校などの外部環境で抱えていた想いとリンクして、その姿が鮮明に記憶される。
しかし、その外部環境は時が流れると形を変えてしまう。そして、コンテンツはそこにあり続ける。"あの頃"それを好きだった自分と、"今"それを好きな人々は、多分仲良くできるはずなんだ。だが、時間は越えられない。そこに気持ちの乖離が生じてしまうと、一種の疎外感を覚える。あ、もうこのファン層と同じ気持ちにはなれないのだなと。
そんな疎外感を(勝手に)大きく感じたのが、今年の彼女たちだった。
じゃあ追いつけばいいじゃないか。僕にそこまで走る若さは、もうない。
−
小林由依が卒業を発表した。
さすがに、グラっときた。
なんとなくだけど、ずっといる気がした。
「推しは推せる時に推せ」なんて手垢の付いた言葉を思い出さずにはいられなかった。
割と、応援していたと思う。
僕が欅坂に傾倒するはるか前、たまたま深夜にテレビをつけると、たまたまそれが日曜日で、たまたまそれが渋谷川のスタジオライブだったことも何故か覚えている。
好みの顔の系統ではなかったと思う。
何故か応援していた。
風に吹かれてもの歌唱中にカメラに抜かれる小林由依ちゃん、可愛かったですよね。
302号室、たまに無性に聴きたくなるんですよね。
紅白でのガラスを割れ!、普通に泣いてしまったんよな。
結局、1st写真集のお渡し会でしか直接話せなかったな。
最後のリアルミーグリも卒コンも外れたし。
悔いが残る、かも。
卒業発表に際して、自分の最も不安定な時期に支えられた、救われたのが彼女であることを再認識できた。ありがとうございました。
理想
今年の日向坂46は消化不良だった。それが最後の最後、紅白落選というわかりやすい結果で現れた。
紅白に関しては、昨年の歌唱曲が決まった時点でこうなることはある程度予見できただろう。あのままで2023年に勝負をかけずに今年も出られるだろう、とたかを括っていたとしたらさすがに驕りであると言わざるを得ない。
数年前ならいざ知らず、令和の邦楽シーンは粒揃いである。そして、かつてのAKBみたく過去の代表曲で出場し続けられるほど、彼女たちの楽曲は層が厚くない。
頼むから、表題曲で心を掴まれるものを出して欲しかった。
個人的には、「ってか」以降(「僕なんか」を除き)割と壊滅的だと思っている。
推しの初センター曲をこき下ろしたくはないが、あれ以降全くワクワクしなくなった。
フォーメーションをいろいろ試すのは良いと思う。だからこそ、もっとこだわって欲しかった。「Am I ready?」のプレミア公開の待機中、「ドレミソラシドみたいな爽やかな曲を待ってる!」という旨のコメントが多くを占めていたと記憶している。そして、それは空虚な願いとなった。期待値が高かった分、あそこで気持ちが離れたと回想している。
冠番組も明らかに企画が枯渇していることが分かる。いまだに盛ってるでを楽しみにしている視聴者なんているのか?2週に1回は過去の企画の焼き直しだし、いくらメンバーの絡みが微笑ましいとはいえそれだけで押し切るのはいささか無理がある。
個々人で見ると、舞台に出演したりラジオ番組が始まったり決して全てがマイナスだった1年とは言わないまでも、森を見ると歯痒い思いをすることが多かった。
自分はもう在宅なため、あくまで在宅から感じることをつらつらとしたためた。ライブやイベントの満足度がどうだったかについては、言及のしようがないため完全スルーする。まあセットリストを見る限り、今更わざわざ行くまでもないとは思ってしまうが。
あとこれだけ言いたいのだが、「紅白に出られませんでした、すみませんでした」という旨の謝罪ブログ、正直何を謝っているのか分からないし、グループとしてファンに謝罪したいのなら運営も謝るべき(いざそうされたら相当気持ち悪いけど)だし、別に紅白に出ようが出まいがわざわざブログまで読む層は応援するだろうし、ブログのサムネイルにロゴがずらっと並んだ光景が"嫌なこと"を想起させてあまり好きではないし、何より「毎年当たり前のように出られている紅白に落選したことを謝ること」が、どこか驕りを感じている(これは完全に思い込みすぎ)ようで、包み隠さず言うと嫌いなので辞めてほしい。
逆にメンバーそのものに対する不満は上記一点のみで、彼女たちは本当に理想的なアイドルグループだと思っている。デビュー初年度・2年目は表題曲も神掛かっていた。野村さん、表題曲に帰ってこないのかな。あと空気感が素晴らしいと思う。期別の壁をあまり感じないし、これは割と奇跡的なんじゃないか。
かつて非常にワクワクさせられたし、間違いなく人生の支えだった時期はあるグループであるため、このまま終わってほしくはない。期待している。
ここまで、自分の娯楽について思うことをダラダラ書いてきた。人生の変化に伴い、ある程度熱量にブレが出てくることはしょうがないし、もうそれで別に良い気もしてきた。少し悲しいけど。
それに依存しなくても生きていけるようになったという意味では最低限の成長を遂げているので喜ばしいことだと思う。もうアラサーだし。
緩く、ストレスのかからないように趣味は続けようと思う。もう趣味で胃が痛くなるのは、選抜総選挙で懲りた。
人間関係希薄化症候群を受け入れる、立ち向かう
社会人2年目以降、交友関係が著しく希薄になったことに悩み続けている。一端の私文大学生であったため友人は多くいたのだが、異常なまでの断捨離が進み、いまだに連絡を取る学生時代の友人は両手で数えられるようになってしまった。
とにかく、人間関係に興味が持てないのだ。
事を起こすのが億劫で、どんどん分からなくなる。それに焦燥感も覚えない。こんな大人で良いのだろうか。
社会人になると、多かれ少なかれそうなるとは聞いた。ある程度、それを受け入れる必要はありそうだ。だが、コロナ禍という外的要因のせいではなく、自ら人間関係を掬う手のひらを開いてしまったような気がしてならないのだ。不要不急の外出を控える事を免罪符に、人と会わない日々が続いた。
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学生時代、最も苦楽を共にした友人が結婚した。
この友人も、コロナ禍以降は年に1回会うか会わないかにまで疎遠になってしまった。それなのに、人生の晴れの日に呼んでもらえた。
「結局お前との思い出が一番多いんだよな」
嬉しかった。
恵まれていると感じた。
腰の重くなっていた自分を反省した。
会うべき人に会わなくては。北海道に行った時にも感じた事だな。
来年こそ、人に会う年に。
2024年
やはりしっちゃかめっちゃかな文章になった。
大きく動いた一年だった。正直、新卒入社した会社で骨を埋めるつもりだったので、転職という選択肢をとったことについてはいまだに信じられない。
この決断が正解だったのかどうかは分からない。いや、これを自分の手で正解にしないといけないのだろう。まだまだ青二才であることは否めないので、愚直に学びながら力をつけようと思う。
来年は、自分に厳しく。
これまで自分のしたい選択を自由にしてきた実感はあり、またその責任から目を逸らしてきた気もしている。
ついに三十路の尻尾が見えてくる来年は、覚悟と責任を持っていかなくては。
緊張緊張、時々緩和くらいのバランスで生きていこうと思う。
要約すると、痩せます、ということです。
着痩せするタイプなので人からはあまり指摘されないのですが、横山さんの握手に通っていた頃から10kg以上太ってしまったので、いよいよマズいかなと…
みなさん、本年は誠にお世話になりました。
趣味を謳歌するために作成した当アカウントの性質上、もはやその存在意義は風前の灯火ですが、細々と生きていこうと思います。
もし、横山さんのイベント等々でお会いする事がありましたら、引き続き仲良くしていただけると嬉しいです。
よろしければ、金村美玖ちゃんの活躍を祈念していただけると非常に喜びます。
良いお年をお迎えください。
以上、2023年のれいりでした。
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