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Something from Nothing ~ゼロから何かを得るために~


私の記事にお立ち寄り下さった皆様、

先ず初めにありがとうございます。昨日で75記事を無事迎えられました。と言う事は、2ヶ月半毎日書いて来れたという事になります。初めて書いた記事でスキを頂いた喜びは未だに昨日の事のように感じます。本当に読んで下さる皆さんとスキを贈って下さった皆様のお陰で、三日坊主の私がここまで来れました。本当に一人一人の方に感謝しています。本当に本当にありがとうございます。

そして、以前より何とか書こう書こうと私を悩ませた自己紹介文をようやく此処で書く事に決めました。なかなか自分を見つめる事も日々の生活ではなかった事なので、めちゃくちゃ書き上げるのに時間がかかってしまいました。記事をサラッと書き上げられる方にコツを教えて頂きたいくらいです。

謎: 皆さんは、どうやって書き上げたのかな?

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そして僭越ながら、ここから自己紹介させて頂きます。

私リルケミは1978年8月生まれの42歳。10代後半頃から洋楽に陶酔。マイケルジャクソンとジャネットジャクソンにハマって以降、ヒップホップを25年敬愛。そして90年代後半に、アメリカロサンゼルスに単身旅行に一度出る。帰国してますます西海岸のラップシーンに陶酔。

大学時代には名古屋のクラブでアンダーグラウンドヒップホップのイベント等を介し、人脈を築く。HomeMade家族のDJU−ichiとは大学同級生(今でも友人)。最後のイベントでLA行きを祝ってもらう。M-floのメジャーデビューツアーで名古屋のクラブでのアフターパーティーに参加。大学時代は名古屋のクラブに通い詰める。

大学卒業と同時に渡米。同年に911が起こり両親から帰国を要請されるも拒否。LAでのラップシーンを体感すべくライブに繰り出す日々を過ごす。同時にプロダクション探しの為、スタジオの門を叩き続けてようやくインターンシップを獲得する。

そのプロダクションで先ず私が担当したラッパーは、ワッツ市インペリアルコーツ出身のギャングスタラッパーのフェディ・デマルコ(Fedie Demarco)。彼は、クリプスギャングの創始者のスタンリー・トゥーキー・ウィリアムズ(Stanley Tookie Williams)の甥っ子だった。そしてそんなフェディをバックアップするのは、アメリカのラップシーンでギャングスタラップ(Gangsta Rap)と言うラップ分野を開拓したオリジナルラッパーのアイスティ(ICEーT)だった。(以下アイス略)

フェディーとの日々は、私にとって理解しがたい事の連発で、私は頭がおかしくなりそうだった。というか、おかしくなっていた。そんなフェディーはアイスにアシストしてもらって、デトロイトでは、アイスキューブ(Ice-Cube)の前座を務めた事を皮切りに、ラスベガスのハードロックカフェ、アリゾナ州フェニックスでのDUBショー、テキサス州エルパソ、地元ロサンゼルスでは数々のステージをアイスの前座として勤め上げていて私も各地に行けて当時はとても楽しかった。

2000年代は、02年にザ・ゲーム、同じクリプスのニプシー・ハッスル、10年に地元で有名になり始めたケンドリック・ラマー他、西海岸におけるギャングスタラップのシーンから次々とデビューするアーティストに並んでフェディーも世に出るはずのラッパーだった。

以下は、アイスと最後にレコーディングした映像です。

懐かしいなぁ。Flow-Sikは韓国系アメリカ人ラッパーでアイスが認めてたNYCクイーンズ出身のラッパー。

ところがこの後2010年年末に、母親の住むアパートの前で起きた強盗事件で容疑者にされフェディは逮捕されてしまう。私はフェディーと全く連絡が取れず大パニックになった。プロデューサーに連絡して初めて逮捕されたと知ったが、私は納得がいかなかった。保釈金を払って出てきたフェディーは、私に絶対にやっていないと主張していた。実際に犯行当時私達はスタジオに居てレコーディングをしていたので、私は裁判の日に法廷に証言者として出廷することにした。それに反して捕まえた警察官は、黒人で身長が大体同じと言うこと以外の物証は無く、法廷にさえ出廷せず、フェディーは結局裁判で無罪となった。だが、この件がきっかけで私は心身ともにボロボロになってしまった。命を懸けてサポートしてきたアーティストを失う怖さと、アイスに何と報告していいか分からない責任不足感と、裁判の日までは恐怖で恐怖で仕方なかった。なんせ、法廷では警察に反論しなければならなかったからだ。もちろん当事者のフェディーも、やってもいない罪で刑務所に入れられてしまうと日に日に痩せていった。私達は、まだ若く社会的に弱い立場で、ライオンを目の前にするヒツジのようだった。

そして、ラップシーンは気が付けば、サウスに移行してしまっていた。

私達は、10年間を失った。スポンサーとなるメジャーレーベル、アイスの後ろ盾、その他関わってくれた全ての人を一気に失った事を若い私達は理解する事が本当に出来なかった。でも同時にそれは現実だった。ビジネスにおいて見込みの無い投資など誰がしようか?10年間もサポートしてもらえたのは、レコードレーベルビジネスにまだ十分体力があったからだ。それはちょうど音楽がデジタル化に移行するタイミングでもあった。

以後、フェディーは私の家に居候し始めていたが、私も精神的に限界がきてフェディーを追い出してしまった。弟のように毎日10年一緒に過ごしてきたのに、私は彼を見捨てたのだ。またフェディーをストリートに放り出してしまった。今度こそ犯罪に手を染めてしまうかもしれないし、ギャングにまた戻ってしまうかもしれないと分かっていたが、私の精神は既に崩壊してしてしまっていたから、後先考えずに行動してしまった。

その日以来、今年の1月までの10年以上私はフェディと会っていなかった。1月にリユニオンがあって再会したが、2人共変わらずで良かった。

ありがたい話、アイスには、その後プロダクションのアシスタントの見習いをさせてもらったりした。アメリカのケーブルチャンネルA&Eで、アイスの昔からの友人マリークがピースメイカー(PeaceMaker)と言うギャングの抗争収め屋TVの撮影に参加したり、アイスの初の製作映画Something from Nothingのロスでの撮影にも呼んでもらえたりした。

これがA&Eのピースメイカーのコマーシャル

そしてアイスが脚本監督総指揮を務めた映画 The Art of Rap ~Something from Nothing~ 映画予告 サンダンス映画祭招待作品


私は、フェディーとの日々を通じて、アイスとの貴重な時間を共有させてもらって以来常々、アイスイズム(Ice-ism)を継承していかねばと思っている。

先ずアイスが常々言っている事は、

”Be Original” 常に一番目であり続けろ

この言葉は、今日まで私に勇気をくれ続けている。他人はどうでもいい。自分がどう生きていくかだけだ。そしてアイスは今日もぶっちぎって生きている。そんなアイスの1番目をココで少し紹介させて頂こう。

アイスは、ラップシーンにおいて、カスワード(Curse words: ファック・ビッチ等放送禁止用語)を一番初めにラップに使用した。

ラッパーとして初めて俳優になった。

ラッパーとして初めて本を執筆した。

ラッパーとして初めて大学で講義した。(しかもハーバード大学が初めての大学だった)

ラッパーとして初めて映画を撮った。等

その他ありとあらゆる事で、初めての功績を残し、後世のラッパー陣へ道を築き上げている。

だから、私もアイスイズムを継承すべく、フェディーとの後また再び立ち上がることを決意した。

ここに立ち上がる決意をするまで、私は地獄のような日々を失った希望と共に過ごしていた。音楽に携われなくなった、チャンスを失った、絶望的な毎日は私を苦しめ続けたし、日本に帰国する事を本当に考えていた。

そこから私がもう一度奮起してプロデュースしたのがブライス・オリバー(Bryce Oliver)だ。2011年後半からもう直ぐ10年ブライスをプロデュースしてきているが、このプロジェクトに関しては、アイスとのプロダクションではなく全くゼロからの発進で手探りのスタートとなった。

ブライスも当時は13歳で、中学生だったので基礎からのスタートだったが、流石プロデューサの息子だけあって、音楽センスはピカイチだった。フェディーとの10年を一緒に見て育ってきていて、私には弟の一人だったブライス。私が、人生をもう一度音楽に賭けようと生きる希望をくれたのがブライスだった。

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そして、去年日本からアパレルブランドSAGの方にこちらでインタビューして頂けました。

本当に恐縮ですがこうやってインタビューして頂いた事で、家族や知人にもやっと私を理解してもらえ始めました。そして、これからもブライスを見守りつつ応援していこうと思っています。現時点では、マネージメントをブライスの兄に全て譲り、私は物販やウェブなどの裏方の準備にまわっています。スポンサー探しや、一緒にウェブを展開して頂ける会社をリサーチする傍ら、20年ぶりに自由になったのでフラフラ中南米に旅に出始めました。

今、音楽業界は大きな節目で転換期にあり、私達はインディースのスタンスを貫く事にしました。そして、これからは、SNSを駆使して、個人事務所で大切なファンと共に成長していこうと思っています。インスタグラムではもう直ぐフォロワーが20万人(現時点6月197K)に行く勢いで、一昨年に公認チェックマークをもらえました。読者の方で、一緒に何かを企画したい方など居ましたら、コメント欄にメッセージ下さい。音楽も100%マスターを保有しており、地道に(苦節20年)展開しています。映像分野の方など、一緒にアメリカの音楽シーンに一石を投じたい方是非参加してください。

こんな長い分になってしまいましたが、最後までご一読して下さり本当にありがとうございました。

こんな私ですが、Something from Nothingの精神でこれからも一歩ずつ進んでいきたいと思っております。

ピース✌️







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最後まで一読ありがとうございました。