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人生初プロレス観戦: 前半

皆様こんにちは。今回の記事は、アメリカで再びプロレスに出会った私が、Youtubeを漁りまくって過去の試合を遡り、それでも足りなくて月額サービスに加入し、挙げ句の果てには、先日行われたロサンゼルス興行に参加するという飲み込まれっぷりをレポートする記事になります。プロレス初心者の私でも充分楽しめたように、全くプロレスの知識が全く無い方にも興味を持って貰えるきっかけになったら嬉しいなぁと思います。

プロレスって面白いんだよ。


出会い編

アメリカ人の友人に大の新日本プロレス好きが居て、彼に「オカダカズチカって言う凄いスターが新日本プロレスに居るんだけど知ってるか?」って聞かれたのがもう数年前になります。「ちょっとわかんない。」って答えたら、「とにかくレインメーカーは凄いから見た方がいい。」と押しに押しまくる彼に触発されてじゃぁ見てみるかと軽い気持ちでプロレスを観ることになりました。早速検索していくと、何と何と天龍源一郎選手の引退試合の相手に指名されているではないですか!ちょっとビックリしながらも試合を観てみると、「何という打点の高いドロップキックを決めてるの!」とあまりの凄さに感動した私はここからレインメーカーを追い始めていきました。

ワールド加入編

アメリカでパンデミックが起こると、カリフォルニア州は全米で真っ先に外出禁止令を発して、あっという間に私は家から一歩も出れなくなってしまいました。唯一外に出られるのは、食料と生活用品を買いに行く時のみで、信じられないほど家に居る事になってしまって、当時は躁鬱状態になりかけていました。また、思うように仕事が出来ないのと所得が無くなる事を同時に体験してしまい、一時的にパニック状態でした。そんな辛い状況の中で、なんとか私は幸いにもカリフォルニア州から失業保険が認可されて月々の補償が毎月降りて、ここまで生きてくることが出来ました。当時はお先真っ暗で日本に帰国する事を真剣に考えたりしたんです。アメリカ生活に全く絶望していたというのに、何故か私は夜な夜なプロレスをYoutubeで観まくっていたのです。本当、理に叶っていないんだけれど、プロレスには本当不思議な力があるんです。例えば、一度試合に負けても次の試合に切り替えてまた進むっていう事を繰り返していくんですね。だからパンデミックの最中、そんなレスラー達の試合を観ていると、私も元気出さなきゃ!とか身体の中からフツフツとエナジーが湧いてきていたんです。私もまさかパンデミックがきっかけでプロレスを真剣に見始めるとは思いもよりませんでした。人生って本当に分からないものですよね。そして、2020年のG1(G1グランプリは個人レスラーの最大の大会)が始まる頃になると、居ても立っても居られなくなって、全試合観たい!って気持ちが頂点に達してワールド加入をとうとう決心したのです。いやぁ、Netflixをキャンセルして、NJPW world(新日本プロレスの試合を放送しているサービス:以下ワールド)に入った事は全く後悔してないです。プロレス万歳!

ということで、私にとってのワールドは、日々の癒やしの時間になって時差のある深夜1時とかから、日本時間の夕方から始まる大会を楽しむ日々が続きました。G1から始まって、ベストタッグ選手権、ベスト・オブ・スーパージュニア(BOSJ)選手権、そして、1/4、1/5のお正月に行われるイッテンヨンとイッテンゴの東京ドーム大会、IWGPインターコンチネンタル王者のベルトとIWGPヘビー級王者のベルトの統一、ジュニアタッグ選手権、などなど、私はプロレスと共にパンデミックを乗り越えてきました。

この数年で、私もレインメーカーから、棚橋弘至選手、中邑真輔選手、飯伏幸太選手とスターと呼ばれる素晴らしい選手を発掘し、その後、内藤哲也選手を発見して、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンというユニットを追うようになって、今の推し高橋ヒロム選手(以下ヒロムちゃん)をとうとう発見することになったのです。世界中で有名なジュニアの選手と言えば、獣神サンダー・ライガー選手がいるんですが、ライガーの引退試合の相手を努めて、ジュニアの引導を渡されたのがヒロムちゃんだったんです。私が推しに決めたのはこの試合からでした。それからというもの、私の人生はヒロムちゃんに元気をもらう日々になりました。ヒロムちゃんはね、プロレスそのものをとっても愛していて、自分だけじゃなく、新日本プロレスやジュニアの選手のことを凄く大切にしてるの。やっぱり、レスラーって俺が俺がっていうエゴイズムな世界の中で、自分だけじゃなくて全体を見れて底上げをしているところが、スターであると私は思っています。棚橋選手や真壁選手と同じ感じがしていますが、ヒロムちゃんはジュニアの選手(100kg以下)なんですね。だからライガー選手を越えようとしている事が本当に伝わるから、私のような中年のハートをガッチリ掴んでいるんです。


早く帰国して、後楽園ホールに会いに行きたいっ!


パンデミックとプロレス興行

新日本プロレスは、レスラー及び関係者のPCR検査を徹底的にしていて、会場でもお客さんに沢山のガイドラインを設けていて、興行を成功させている指折りの団体です。解説者の方以外は、声を発せないため、観客は拍手や手拍子でレスラーを応援しながら、今まで興行を続けてきました。緊急事態の中試合を中止せざるを得なくなったり、選手に感染が発覚し治療に専念するため、試合のカードが変わったりと、様々な困難を乗り越えて今も尚興行を続けていられるのは、会社の体制の素晴らしさの他ならないと思います。海外から訪日する選手や、海外に試合に行く日本人選手を本当に上手くコントロールしながらここまで来れたのは、会社とファンとの信頼関係の証でもありますよね。これからも、応援していきたいと思っています。

ここアメリカのプロレス団体では、観客をオンラインでモニター参戦する形式をとったり、少数のみ入れたり、無観客試合をしたりと、パンデミック時は本当に厳しい興行だったので、有観客の日本のプロレス興行が本当に羨ましかったです。

そんな中、私が今まで観てきた選手がアメリカに試合しに来ることになって、しかもしかもめっちゃ近いLAコロシアムで興行するって発表されたんです!!後楽園で初プロレス観戦をするって決めていた私に思ってもみないチャンス到来!!早速私を新日本プロレスに引き込んだ友人に連絡をして、土曜日の日程を押さえて、チケットを購入する流れになりました。

私の知っている選手は、ジュース・ロビンソン、デビット・フィンレー、ジェイ・ホワイトがいました。しかも、アメリカ渡米直前に棚橋選手から獲ったNEVER王者のベルトを持っていたジェイは、フィンレーとベルトを掛けた試合をすることに決まっていました。後は、LADOJO(新日本プロレスのLA道場)の選手のみの発表だったので、私達は、中盤の席を買っていました。それでも、初プロレスに私は毎日ルンルンの日々を送っていました。そしてそれと同時に、ロサンゼルスは完全解放の日々が戻ってきたのです。

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あああああああ!2年間本当に長かった!

後半に続く。

top and insert pictures by: njpw website 



最後まで一読ありがとうございました。