親孝行とマザコンの線引は依存の方向性にあるんじゃないかという話

暇すぎて料理ばっかりしてる男,さくまです.
あと,今回は特に日記要素が強い.支離滅裂.書いてて変化感じだったわ.読む際は気をつけて.

今回は親孝行とマザコンの話だ.この2語は似て非なるもので,前者は称賛されるべきもので,後者は少し眉をひそめてしまうもの,という印象が一般的だろうか.

唐突に自分語りを始めよう.私の母は私を育てるのに非常に苦労した人だ,と私は思う.それは私が癇癪持ちだとかヤンキーだったからとかではない.私は幼少期ひどいアレルギー持ちで,食べられるものはアレルギー除去をした1kg5000円もする米とわずかな野菜だけ.当然乳幼児用ミルクも飲めないので高価なアレルギー除去ミルクを少しずつ飲まされていた.
今でこそアレルギーという言葉は一般的だが平成生まれの私ですら当時の理解はほぼ無かったと思う.

アレルギーを理解せずに冷蔵庫の前で腹が減ったと泣き叫ぶ我が子を見て母は何を思っただろうか.
さらに結婚を半ば政略結婚のような形で,頑固で粗野な父と,100人が100人「こいつ嫌い」と言うような,創作よりもずっと意地悪な姑と暮らしてきた心労はいかがなものだったのだろうか.
このあたりを包み隠さず話し始めたのは兄が就職し家を出た,私が21の頃だった.この心労を母は四半世紀あまり我慢してきたのだ.

6年前に母は脳梗塞を患った.ある晩,夕食時に母の左半分の顔がひどく歪んでいるのを感じ取り,母に告げた.母は不思議そうにしていた.その1時間語病院へと担ぎ込まれた.
初動が早かったおかげで今も残る障害は非常にわずかな言語障害のみだ.「ピカタ」とか「ミャンマー」とか複雑な言葉が言いにくいくらいのもの.
脳梗塞の原因は体質,と医者に告げられたときは驚いたものだ.母は体内の物質を結晶化させやすい体質らしく,思えば脳梗塞前に石灰化などを患っていた,と思い出した.

3年前,母は心筋梗塞を患った原因は同じく体質.むしろ心臓の血栓が脳に飛んだから脳梗塞になったのではないかとは医者の談だ.この心筋梗塞が厄介なもので,1箇所はカテーテルでどうにかなったものの,もう1箇所はどうやっても施術不能.これ以上詰まらない,血栓を増やさないようにコレステロール値を常人の最低値の半分以下に留める必要が生じた.それも一生涯だ.
幸いにもコレステロール値を下げる薬が良く効き,肉類や乳製品を一切摂取してはならない,ということはなかったが,それでも母が好きだったチーズやヨーグルトはほぼ食べなくなった.

その頃からだろうか,私は母を不憫に思うようになった
望まない結婚をさせられ,全く感性も意見も合わない好きでもない相手と結婚し,姑にいびられ,その上大病を患い食の喜びも制限された.
外に出る気力もなく,贅沢もせず過ごさねばならない母を見てどうにかせねばと思った.

私は決心した.母が頼れるのは私だけである.ならばこの四半世紀で失ったものを取り戻してあげようと.幸いにも当時私は大学4年で大学院へと特待生で進学し,研究も順風満帆であったため,時間があった.

手始めに料理やお菓子を振る舞うようにした.店に行けば手に入るが,私の趣味は偶然にも料理.もともと行っていた料理とお菓子作りだが,できるだけSavvyや世界はほしいモノにあふれている(女性向けの雑誌とNHKのテレビ番組)で見かけたおしゃれな料理を再現し,振る舞った.
また,振る舞うだけでなく母が行きたい食べたいと行った店や料理を調べ上げ,2人ででかけたりした.おしゃれな喫茶店にも度々通う.

私がいなければ本当に母は一人ぼっちである.しかも子供は2人とも男であるため,こんなおしゃれなことはできないと考えていたようだ.
私は男ではあるが(という表現も時代錯誤だが)おしゃれに振る舞うほうが好きだ.ファストフードに毎日行くくらいなら普段は自炊して1ヶ月に1回を外食にして高級フレンチに行く.チョコレートも1つ300円くらいのものを少し食べるほうが好きだ.
その点で母と感性が合っていた.

はたから見れば私はマザコンだろう.理解している.しかし私はこれらを親孝行であるとしている.私からすれば子が親を愛するのは当たり前である.
(なお上では父が暴君のように書いたがそれはそれとして尊敬はしている.なんなら毎週金曜日は父と飲み交わすくらいには仲が良い)

ここでようやく冒頭の題目に帰ってくる.親孝行とマザコンの線引だ.

親孝行の依存関係はわずかだ.親が子に頼ってなにかしてもらう,という一方向のみだ.一方でマザコン(ファザコンでも良いだろう)の依存関係は親子に対して双方向なのではないかと思う.

親子関係で子が幼い頃は依存関係は双方向だ.子は親がいないと何もできない.では親は?というと子が可愛いの一心で子を育てる.子を育てる基本的な理由は可愛いというのが一番だ.少なくとも私の周囲ではそうだ
子が大きくなると「自立」という言葉があるように,依存関係は切り離されていく.これができないでいるのがマザコンではないだろうか.

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今まであたかもマザコンが悪いように書いてきた.しかしそれは個人や家族間での話であり,別に当人同士が良いのであれば良いと思う.先にも書いたがはたから見れば私と母の関係もマザコンのそれだろう.
今回日記を投稿するに至ったのは親孝行との線引があるように思え,それに対する自分なりの解を得たからだ

ただ,親と出かけたりするのはいくつになっても良いと思う.他国を例に出すのは気が引けるが,海外の友人などに母と出かける旨を言うと口を揃えて「良いことをしている」と言ってくれるし,なんなら最近自分の母親と出かけたエピソードなどを話してくれる.

この日記を書いている2020年4月9日現在は諸々の事情で自宅にいなければならない時期である.どうせ家にいなければならないのなら,楽しいほうが良い.私は料理の腕をふるい,母と家族を満足させ,その満足そうな顔を見てまた料理をするのだ.


ただ母よ,洗い物は私がするから今はゆっくりしていてくれ.
隣で奇妙なダンスを踊るんでない.


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