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2 死んだはずの娘の声がする

娘が死んでしまった日から、お参りのお客様の相手や娘の学校とのやりとり以外は、娘の遺影の前で座り込んで泣いては日々を過ごしていた私。下の娘たちが学校に行っている間は、声をあげて泣けていたので、子供が帰ってくる頃には、一日中泳いだ日のようにぐったりと疲れていました。

体力も精神力も今思えば限界だったかもしれない、二週間ほどしたある日のこと。その日も私は遺影の前で、「寂しいよー」「なんでだよー」「ごめんねー」。自分を責める気持ち、寂しい気持ち、遺書も残さず突然死んだことに対する疑問や怒りを泣きながら訴えていました。

そして私が、「もー死んじゃダメだよー」っと言った時でした!

「死んじゃダメってさ〜、残る側の都合よね。ウケる〜」と、私を小馬鹿にして笑うような娘の声がしたのです。

「え??」霊感もない私に死んだ娘の声が聞こえ、とうとう自分も頭がおかしくなったか?でも自分の妄想なら、「残る側の都合」なんて自分では気づきもしないセリフが出てくるのだろうか。

私はその声を娘からのメッセージだと確信し、さっきまでとは全く別の視点で、娘の死を見つめ始めることになったのです。

「ほんとだ。なんで死んじゃダメなんだろう?死を悪いことみたいに思っていたのはなぜだろう?一体どこの誰が悪いことだと決めたの?」

人の死は残された人には悲しいことですが、死は必ず誰もが経験するものです。その自分が死ぬ日を自分で決めることの何が悪いのか、改めて考えてみると、わからない自分に気が付きました。

迷惑をかけるからでしょうか。人を悲しませるからでしょうか。または、与えられた命を粗末にしていると言うなら、粗末にされたと思う人を苦しめてるからでしょうか?

どう考えても、「死んではいけない理由」に死んだ人の都合を考えているものはないのです。娘の声が言う通り、残された側の都合でしかなかった。
もちろん残される者は悲しいです。でもだからと言って、死んでしまった人を自分の都合を正当化するために悪者呼ばわりするのは、違うと思うのす。

自分で死んではいけない理由など本当はないことに気付かせてもらった私は、娘本人の選択を全肯定しようと思いました。最初から娘を全肯定できなかった自分が情けないですが、そんな私を見捨てることなく、こんな重大な誤った思い込みに気付くようなメッセージをくれるなんて、娘は良い事しかしていないのだと思えてきました。

そして実際ここから娘は、私が幸せになるよう導いてくれるのです。死んだはずの娘は私の専属天使として肉体のない存在に生まれ変わったようでした。

つづく

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