10 命日の過ごし方、我が家の場合
毎月の命日、そして祥月命日をどう過ごすかは、家族や信仰している宗教によってそれぞれだと思いますが、我が家の場合は少し変わっているかもしれません。この命日の過ごし方は、亡き娘がどうやって命日を過ごしてほしいのかを私達に教えてくれたものだと思っています。なぜならその日は我が家の特別な日だったからです。
実は娘が死んだその日は、夫の誕生日でした。我が家にとって家族の誕生日は、年に数回のお祝いのご馳走を囲む特別な日です。あの日も本当なら夜にお祝いの宴をするはずでした。
夫は自分の誕生日に死んだことを「これから誕生日が来るたびに辛い思いをするのかな、自分の誕生日を嫌いになるね」なんて言っていました。でも娘がそんな仕打ちをするなど全く想像できないのです。もしも何か意味があるとしたら、もっと違う意味があるはずだと思いました。そしてハッと閃いたのです。
肉体の中の娘にそんな意思があったかどうかはわかりませんが、魂の次元の娘は、自分の命日として、私たち家族が苦しんだり悲しんだりする日を作りたくなかったのではないかと思ったのです。大好きだった父親の誕生日が命日になったら、彼女のためにも、我が家では絶対夫の誕生会をするはずだからです。
毎年毎年、祥月命日が夫の誕生日なのですから、楽しくお祝いすればいいのです。娘にとって、みんなが楽しんでいる姿こそ嬉しいのだというメッセージなのだと思いました。
思い返すと娘はよく「うちの家族ってサイコーだよね」って満足そうに言っていました。中学三年の時は、部活をやめ、入試に備えていたため、家族と過ごす時間も結構ありました。魂は死ぬことがわかっていたから、家族との時間を確保してくれたのかなと今では思ってしまいます。
娘は家族全員で楽しい時間を過ごしているのが好きでした。家族でトランプやボードゲームをするのも大好きでしたから、命日は、その様子を見せてあげる日にすれば良いのだと思いました。どんなお供えものよりも、どんなに大きな花束よりも、彼女が嬉しいお供物なはずです。
そしてそれは同時に、私たち残された家族も、苦しむことなく命日を過ごせるという、完璧な仕組みであることに気づきました。私たちが、娘のことを思ってすることが、自分たちのことも幸せにする。幸せの循環が起こっているのです。
祥月命日の過ごし方は、娘の命日を意識することなく、夫の誕生日を祝う日とするのが、我が家の習わしになりました。そして、近所の仲良しママは、娘の祥月命日に、果物を持ってきてくれるのですが、その時に毎回こう言ってくれます。「パパさんのお誕生日おめでとう!」ありがたくて涙が出るほど嬉しいです。
さて、その他の月命日については、もう特に気にしていません。最近は過ぎてから気づくこともあります。それはたぶん、いつも一緒だと感じているからだと思います。生きてる時とほぼ変わらない対応です。
夫は仏壇管理担当なので、毎日仏壇にお線香をあげますが、私は娘が生きていた時と変わらず、別に仏壇に向かうわけでもなく、その時いる場所で語りかけます。娘はお仏壇にいるわけではなく、いつも私たちと行動を共にしていると思っているからです。お供えも、生きてる時同様、家族の一人としてシェアしている感覚です。
そして、私は娘が亡くなる数ヶ月前から、第六感というか、誰も感じられない匂いを感じる体質に変化してまして、娘が私に話しかけたい時は、匂いで知らせてくれています。そんな時は、必ず、何か重要なことに気がつくようになっています。という訳で、普段から私ばかりが一方的に話している感覚でもないので、本当に命日など私たちにとっては意味がなくなっているのです。
娘の肉体がないのは確かなことなのですが、娘と私の関係は以前とあまり変わらないので、最近は特に、命日って何だっけ?という気分です。そして、それが娘にとっても心地よい供養なのかなと思っています。なぜならどんどん私たちを幸せに導いてくれるからです。
こうして、娘の亡き後の家族の心地良い在り方を作りながら、現実的な問題は解決していけたので、私はいよいよ引きこもりながら更に深く自分の心の闇に潜っていきます。少々ドロドロしていましたが、このドロドロに気づけて本当に良かったと思っています。気づかないと掃除できませんからね。
つづく
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