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『犬王』

『犬王』を観てきた。
ので今回はその感想である。
今回はせっかくなので画像を張り付けてみた。

公式サイトはこちら。
あの湯浅政明監督作品というだけあって結構いろいろなところでやっているが、そろそろ公開からひと月経ちそうなので見たい方はお早めに。


総合評価

ネタバレの前にまずは簡単な総合点から。

・ストーリー:2点
・演出:4点
・キャラクター:3点
・総合:3点

まあ、正直そこまで面白くはない。
「いいところはめちゃくちゃいいが、全体的には微妙」というのが僕の感想だ。

概要

原作の古川日出男という作家はかなり特殊な作品を書くことで有名である。ロックの文体とも言われる(し、自称でもある)彼の文章はかなりリズム感、語感を重視して書かれている。
そんな古川日出男が本家「平家物語」の現代語訳と共に世に出したのが、本作『犬王』である。こちらは前クールにNHKにて「平家物語」としてアニメが放送されかなり話題になったので、知っている人も多いだろう。
犬王とは観阿弥世阿弥と同時代を生きた伝説の能楽師(申楽師)であるが、彼の演じた演目は現代に一つも伝わっていないという。

本作の犬王は父が悪魔(的なもの)と契約をし、父が究極の美を得る代わりとして身体を奪われたバケモノの子である。
というか「どろろ」まんまの設定だと言った方が早いだろう。
百鬼丸は全てを奪われ瓢箪のような姿の赤ん坊となったが、犬王は本来の肉体の代わりにバケモノの身体を与えられ、見にくい顔面を隠すために瓢箪の面を被せられる。
そして鬼を殺すのではなく、能の技や芸を身に着けるたびに元の肉体が1パーツずつ戻ってくる。

作中の能は「ポップスター」というキャッチコピー通り、ポップスやロックを混ぜたパフォーマンスになっている。
途中では明らかにQUEENの『ウィーウィルロックユー』や『ボヘミアン・ラプソディ』を意識した楽曲が出てくるあたり、かなり古川ロックの遺伝を持って生まれた作品だとわかるだろう。
だがこれらはどちらかと言えば「失われたものへの鎮魂歌」だ。

作品全体を貫いているのは「失われたもの」。
それは例えば世阿弥に絶賛されながらも演目の残っていない「犬王」自身であったり、源氏の圧力や幕府の意向によって闇に葬られかけた「平家物語」であったり、その平家物語を語ろうとした「琵琶法師」である。
彼らの声を拾い上げ語り直す=リメイクする。
能をロックミュージカルにしたのは多分そういうことなんじゃなかろうか。


良かった点 ※ネタバレあり

まず素晴らしいのが、この犬王のビジュアルと動きだ。
ちょっと再序盤の画像が見つからなかったのだが、これが幼少期の犬王だ。

この犬王はすでに足を取り戻しているが、始めはこの足も獣のように短く、極端に長い片腕と相まって3本足のような動きをする。
その状態で能の舞を独自に習得するのだが、このときのアクションがとてつもなく素晴らしい。

犬王は見るからに異形であり「人間型」から完全に外れている。
そのためにアニメーションが「犬王にしかできない異形の動きと舞」になっているのだ。
中途半端に人間の真似をしていないというか……異形の身体構造を完全に理解して描いているのがすぐにわかる。
これは本当にすごいことだと思う。

それに画面の演出などはさすが湯浅監督。
冒頭5分の現代から室町時代へ移っていくカットで観客は一気に作品世界へ引き込まれる。キャラクターは一切いないのに。

さらに犬王の声は「女王蜂」のアヴちゃんが当てているのだが、彼(彼女?)の歌唱力と声音の種類の多さが犬王の異形性を高めている。
はじめにこのキャスティングを聞いたときは「なんでアヴちゃんなんだ?」と思ったが、映画を観た後は「アヴちゃんしかいなかったな」と思わせるほどの説得力があった。

パワーのある絵とパワーのある声、それによる主人公の異形性の強調。
この映画のすばらしさは特にここに尽きる。


悪い点

だが、演技も演出も素晴らしいものの映画としては別に面白くない。
一番の原因は「ストーリーのわかりづらさ」だ。

ストーリーとはすなわちキャラクターがどこへ向かおうとしているのか、ということだが、それが結構理解しづらい。

この作品の主な視点人物は犬王ではなく、親友の琵琶法師、友有だ。
彼は壇ノ浦の漁村の子供だった。だが偶然草薙の剣を海底から拾い上げたために父を失い、本人も失明する。そして父の亡霊に言われるがまま復讐の旅に出て、琵琶法師と出会い弟子入りする。さらに犬王と出会い平家の亡霊が語る「失われた平家物語」を二人で語り直して成仏させようとする。

つまり視点人物の目的が一貫しておらず、割とノリで動いていく。
だから時間は経過しても物語としてどこに向かっているのかが分かりづらい。

さらに作中の目玉となるのは犬王作の「腕塚」「鯨」「竜中将」という平家物語の演目なのだが、映画ではここに対する説明もあまりない。
音もバンバンなってるから歌詞も聞き取りづらい。
だから作品の物語と作中作のリンクというのが観客にあまり伝わらない。


それと個人的には、作中のライブシーンもあまりいいとは思えなかった。

犬王の能は完全に「ロックパフォーマンス」なのだ。
犬王自身が舞い踊り客を煽ることで進んでいく。

僕は能はあまり詳しくないが、基本的には演劇の一種だと思っている。
つまり能の舞や歌はキャラクターの感情を伝えるための演技なはずだ。
それが犬王ではパフォーマンスであり演技でなくなってしまっている場面が多いように感じられた。
特に「鯨」は犬王の動きからストーリーを連想することも感情を推察することも難しい。
つまり「すげえなあ」とは思うが「おもしれえなあ」とは思えないシーンになってしまっていた。

そこに友有の琵琶ロックライブまでがずっとずっと続くから、余計に長くだれているように感じてしまう。
一番の見せ場なのにちょっとずつ冷めていく感覚はまあまあ辛かった。


終わりに

僕は古川日出男ファンで原作も読んでいたし、湯浅政明監督作品ということもあって見に行った。
もちろん面白いところ、いいところはちゃんとあった。

しかし、人に勧められるほどのものではない。
なんとなく話題になっているから見に行こう、という人は別のものを見たほうがいいと思う。

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