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Explorations/Bill Evans Trio -Nardisが連れてくる匂い

Nardisを聴くと父の音楽部屋の匂いがする。

これは別に父が体臭のきつい人だったという意味ではない。
父はギターを弾く人で、音楽部屋というものが我が実家には存在している。
幾つものギターに、アンプやらエフェクター、ケーブル類にレコードなどが独特の秩序で散らばっているその部屋に入ると、幼い私は落ち着くような落ち着かないようなよくわからない気持ちになったものだった。
そこには非常に独特な、「匂い」と表現するしかないような雰囲気があった。

当時、70年代後半の香りを残した80年代の匂いを漂わせたその部屋は2階にあり、さながら秘密基地のようだった。

父は家でギターを弾く時は、その2階の音楽部屋に限らずリビングやらキッチンやらそこかしこで弾いていた。
自宅の一部で自営業をしていたので、終業後だけでなく、仕事の手が空いた時や休憩のタイミングでも自宅の好きな場所でギターを弾いていたのだ。
そんな状況なので、幼少の私はなんだか小難しく取っ付きづらいという印象を抱きつつも、その音楽を日常のBGMにして暮らしていた。

その中で幾つか、自然に耳に残っているフレーズや曲がある。
そしてその幾つかの中で、飛び抜けて当時の匂い、それもなぜだかあの2階の音楽部屋の匂いを強烈に連れてくる曲が「Nardis」だ。

父がよく弾いていた曲のひとつではあったが、当時レコードで音源をそんなに何度も聴いた訳ではなかった。
ましてや当時に自分の意思でもって能動的に聴いた事などは一度もなかったと言える。
それでも今聴くと、スコット・ラファロの押弦のタッチや、重なり合う音の隙間から立ちこめてくる空気感まですべてが完璧に、懐かしいあの音楽部屋の匂いを連れてくるための不可欠な要素として立体的に聴覚に訴えてくる。
物心つくかつかないかほどの幼い頃に時々1人で入り込んだあの当時の音楽部屋の匂いが立ち上がってきて、眩暈がしそうになる。

「素晴らしい音楽とはいったいなんなのか」というのは、言葉で表すにはあまりにも答えの尽きない途方のない問いのように思う。
それでもひとつの答えとして、こういう魔法のような事を可能にしてしまうもの、と言えるのかもしれない。

忘却の彼方から懐かしい匂いを瞬時に連れてきてみせる、そんな事をやってのける音楽は、確かに素晴らしい音楽に違いない、と思う。







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