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東京チェインギャグと妄想グッドライフ、からのモノローグ

チェインギャグ

THE BLUE HEARTSのアルバム『YOUNG AND PRETTY』収録の曲、『チェインギャング』のリリースは1987年。サムクックというアメリカの歌手が1960年に、鎖に繋がれて肉体労働を課せられた囚人について歌った曲『Chain Gang』のオマージュらしい。ちなみに、私が実際にTHE BLUE HEARTSを知ったのは、3年後のリリースの『情熱の薔薇』。当時、小学校6年生だった。そして、THE BLUE HEARTSの他の曲を教えてくれたのは姉だった。

この「東京」という巨大過ぎる街に、私は今現在、人生ごと囚われている。ーその状況を、この駄文のタイトルの一部に「チェインギャング」を冠する事で託したつもりだった。なのだけれど、実際、東京に人生を括り付けているのは、他でもない、自分自身である。

グッドライフ

一方で、最近の私は、「善く生きる」ということについて、日々、妄想している。仕事に縛られ、時間に縛られ、お金に縛られ、そしてこの街にも縛られている。が、縛られつつも、もう少し「善く生きる」ことはできないものか。

そもそも、「善く生きる」って何だろうか。イメージとしては、要するに社会貢献のようなものなのだろうと思う。環境問題、戦争、格差、分断。ーと、徐々に酷くなっている(様な気がする)世の中において、地域社会、福祉、教育、平和などなど、もう少し何か自分が貢献できる生き方はできないものだろうか。ーという妄想。

少なくとも、今の自分の仕事は、世の中を良くすることへの貢献度が低い気がしてならない。「ブルシットジョブ」とまでは言わないものの、何処かしら、それ近いものがあると思う。定職を持ち、寝食に不自由せず、何を寝ぼけたことを、と、自分でも思う。それは、頭の中のお花畑だと、自分でも思う。それでも、私なりに思い悩むことがあり、それについて考えることは、止められず、それもまた人間の性なのだろうと思う。

モノローグ

近頃、岸政彦『東京の生活史』を少しずつ読んでいる。この街に暮らす人々をインタビューし、人生の断片を言葉で切り取って、150人分集めた超大作。(フランスの社会学者ピエール・ブルデューが刊行した『ディスタンクシオン』や『世界の悲惨』で取った手法の応用なのだと思う)

私がこれを読んでいるのは、同じく東京で暮らし、何某かを考える人々の「自分語り」に触れてみたいという好奇心から。必ずしも読みやすいインタビューばかりではないが、東京という街について知るアプローチのひとつとして、ちびりちびりと読みすすめている。

が、読んでいる内に、日々、煩悶する自分についても、「自分語り」をしてみたらどうだろうかと、思い立った。一体、私は何に煩悶し、何を妄想しているのか。

自分を観察するためのモノローグ。

「僕の話を聞いてくれ
 笑い飛ばしてもいいから」

そして、キーボードを叩き始める次第。

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