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Cahier 2020.11.21

先週末、久々に根津美術館を訪れました。

今年5月、毎年お庭にきれいに咲く燕子花を見られなかったこともあり、お目当ては尾形光琳の「燕子花図屏風」でしたが、まさかの会期違い…。

光琳の燕子花は、誰しも一度見たら心奪われずにはおられない江戸の名画ですが、舞台は三河・八橋(現・豊田市)、平安のプレイボーイ在原業平の和歌がモチーフと言われます。

から衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ    
                    ――「古今和歌集」在原業平

この八橋は京都の銘菓と関係があるような・ないようなという噂ですが、肝心の現地は実はそれほど大した場所ではない説がささやかれております…。

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     ☝北斎の描いた八橋

これはよく描かれた方で、実際にはこれほど壮大な感じはない模様。愛知県出身のわたしですら訪れたことがないくらいなので、実情は推して知るべし。ただ、実際の風景よりも心象風景が際立って美しく、それが後世の歌人や絵師たちに影響を与えたという点は、さすが業平。

ぜひ光琳を、と思ったのですが、残念なことに会期違い。それでも素晴らしい作品にいくつか見(まみ)えることができました。

鈴木其一「夏秋渓流図屛風」

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六曲一双屏風で右隻に山百合と熊笹の夏景、左隻に赤い木の葉の秋景が描かれています。実物よりも丸みを帯びた形にデフォルメされた熊笹といい、不思議な点がいくつか指摘される本作。全体としては青に金で流線が表された水の流れに焦点が当てられているようですが、主(水の流れ=時の流れ)と副(夏から秋へ、山百合・熊笹から紅葉へ)のバランスも何だか妙な感じ。しかも右隻が右から左へ、左隻は左から右へと水が流れているので、右から左へ(夏から秋へ)と水(時)が流れていくというより、中央でぶつかり止まってしまうかのよう。秋景の木の葉はO・ヘンリーばりに散り行き、秋といっても晩秋なのではと思うほど。夏から秋へ、季節のあわいを描いたというよりは、その対比を描いているようにも見えます。時は流れ、季節は移る。それでも夏は夏、秋は秋にしかない情景がある。後にアポリネールが「日も暮れよ、鐘も鳴れ、月日は流れ、わたしは残る」と歌ったように、時間の流れに抗うような近代的な憂鬱を先取りしたような気配がこの二曲一双の屏風にも感じられるような気がします。よく指摘されているようですが、執拗に強調された苔もちょっとキモい。憂鬱な人間にしか描けないんじゃないだろうか、こんな苔。

光琳目当てで行ったものの、其一の奇怪さに魅入られることになりました。

この作品は、今年重要文化財指定を受けたそうです。パチパチパチ!

次回は、もう1点、心奪われた「那智瀧図」について。(たぶん)

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